武蔵野美術大学 美術館・図書館イメージライブラリー

第11回イメージライブラリー課外講座
「アニメーション作家 コ ・ホードマンの世界」の記録

この講座について

若い映像作家たちに道を開くことによって多彩な映像表現を生み出したNFB(カナダ国立映画制作庁)。イメージライブラリーでは、ビデオや16ミリフィルムなど、NFB製作の映像作品を積極的に収集してきた。この講座では、NFBにおいてアート・ディレクターとしても活躍するアニメーション作家コ・ホードマン氏をお迎えし、人形アニメーションの実演などを交えながら、アニメーションの技法や表現内容について語っていただいた。


はじめに(本学視覚伝達デザイン学科 陣内利博教授より)

陣内 今回コ・ホードマンさんがどういう経緯でこちらに見えたかということからお話しします。8月の半ばに広島で広島国際アニメーションフェスティバルがありまして、それに合わせて国際交流基金が氏を一ヶ月間招聘されました。学校でやる講演では今回のムサビが一番最後となります。
 イメージライブラリー・ニュースに既に書かれていることもありますけれど、コ・ホードマンさんのご紹介をしたいと思います。1940年、オランダのアムステルダムで生まれて、1965年にNFB、National Film Board of Canadaというカナダの映画制作庁のスタッフになられました。今はNFBのフレンチ・アニメーション・スタジオで制作を続けていらっしゃいます。実はホードマンさんが生まれた年というのは、NFBができた年なのです。以前イメージライブラリーの講座で、NFBのフィルムの解説を私と小出正志先生でしたことがありますけれども(第8回課外講座「NFBのアニメーション研究」)、実はムサビには500巻くらいのNFBのフィルムがありまして、その中にホードマンさんの作品もあります。
 NFBがなぜ作られたかは、ホードマンさんが今アニメーションを作っていらっしゃることと非常に関係がありますので説明しておきます。カナダという国にはフランス系とイギリス系、更にはイヌイットという原住民の方々がいます。それらの人々のためにオーディオ・ビジュアルを通じて自らの国のこと、あるいは教育に関することを学習するために、まさにこのアニメーション映画の世界を使っていこう、と立ち上げられたのがNFBの設立の経緯です。前回の講座でもお話しましたが、ノーマン・マクラレンという人がアニメーション部門の長に立って始められました。NFBからは有数なるアニメーション作家が育っているのです。それでは、コ・ホードマンさんをご紹介いたします。

『マトリオスカ』『ふくろうとカラス』について

コ・ホードマン まず、ムサビでこの講座を実現するのにご協力いただきましてどうもありがとうございます。こんなにたくさんの方にいらしていただきまして本当に嬉しく思っています。私自身については陣内先生がもう充分に説明してくださいましたので、最初の2本の作品について説明をしたいと思います。NFBでの私の制作環境ですが、100%自由を与えられて制作をしています。時々、外からアイディアを得ることもあれば、私自身の内部からアイディアが出てくる時もあります。
 『マトリオスカ』はいわゆる教育的な目的のために作られました。この映画では、大きいものと小さいもの、その関係について説明をしています。最初は全く音がない状態で、教室の中で上映するという目的を持っていました。しかし制作が終わった時にこれを見たプロデューサーが非常に気に入ってくれまして、劇場上映のために作り変えてはどうか、と提案をしてくれました。
 そこで私たちはオタワにあるロシア大使館でいくつかロシアの民謡を聴き、映画に実によく合う曲を選び出しました。しかし音楽家がこの映画を見ながら演奏すると、あまり早く演奏ができないということに気が付きまして、イメージに合うようにもう一度楽譜を全部書き直しました。
 次に2本目の『ふくろうとカラス』についてですが、このストーリーはある本から私が見つけ出しました。これはイヌイット、いわゆる極北の文化に基づくお話ということになっています。こういうイヌイットの伝承文化と呼ばれるものは、普通、書かれたり何か目に見える形で残っているわけではありません。常に人から人へ、口伝えに伝わってゆくものです。ある時そこに宣教師がやってきまして、その時初めて紙の上に文字を残すということを始めたということです。このフィルムを作るにあたっては、私自身が極北の地に赴き、イヌイットの人々と一緒に作業をしました。もちろんストーリーだけではなくて、いわゆるアートワーク――フィルムに登場する絵もご協力頂きました。それから音楽では、これも非常に面白いのですが、イヌイットの若い作曲家によってすべて作られています。この作曲家は非常に若い女性の作曲家で、このサウンドトラックを作るにあたって自分の家族から二人のメンバーを選び、一人がふくろう、一人がカラスを演じたということです。彼女は極北の地でサウンドトラックを全部作り、私はアートワークのすべてを手に入れた状態でモントリオールに帰り、映像の作業を続けました。では、この2作品を見てみましょう。

<『マトリオスカ』『ふくろうとカラス』16ミリフィルム上映>

コ・ホードマン カラスが黒い理由がお分かりになったと思います。東京にも黒いカラスがいっぱいいますよね。実は、この『ふくろうとカラス』という作品は、いわゆる忍耐力について語っているのです。良いハンターというのは忍耐力がないといけない、という教育的意味が含まれているのです。作品の中に、ボーンゲーム、骨を使った遊びが出てきますけれども、これは非常に特徴的ではないでしょうか。これはアザラシの骨、いわゆるヒレの部分の骨を使っています。

『砂の城』『スニッフィング・ベア』について

コ・ホードマン 次の2作品についてご説明を始めたいと思います。最初の作品は『砂の城』、次が『スニッフィング・ベア』というタイトルです。どういうところからアイディアを得るのかとよく聞かれるのですが、『砂の城』に関しましては、私を取り囲む環境から発想を得て作品を作り始めました。ある時私は砂浜にいました。たくさんの人が日焼けといいますか、太陽の光を浴びていたのですが、そこで皆が砂の上に色々な模様を描き始めたのです。それだけではなくて、そこにいる人たちは砂を掻き集めて城や建物、ちょっと変わった感じの生き物などを作って遊んでいました。非常に面白いと思ったのは、波が押し寄せてきて作った物がすべて押し流されているということに誰も気が付いていない様子だったのです。私はちょっとそこで疑問に思いました。全部波で押し流されてしまった後、人はまた作り始めるのだろうかということです。私の予想通り、人々は戻ってきてまた砂で遊び始めました。そして私は色々考え始めて、結局この『砂の城』という作品を作ることになったのです。『砂の城』については後でもう一度ご説明したいと思います。
 次の作品は『スニッフィング・ベア』です。背景となる舞台は、これもまた極北の地になります。氷山ですとか、一面が氷の世界、そういう世界での物語です。一面が氷の世界に行きますと、時々、氷の形が動物の形のように見えたりするものです。細かいところまではよく見えませんけれども、形だけ、輪郭だけを見ると、本当にどこかで見たことがあるような動物の形に見えてきます。極北の地でそういうことを体験した私は、紙から動物を作りまして、細かいところまでは分からないんですが輪郭だけが分かるという、そういう動物たちのキャラクターを思いつきました。
 これは実は私だけのアイディアではありません。数人のグループとの共同作業がまず最初にありまして、その人たちと共に話し合いを進めました。この『スニッフィング・ベア』は、ガソリンを吸引するという社会問題について作られた映画です。私はある時刑務所に招かれたのですが、そこでガソリンを吸引するという社会問題について数名の囚人と話を始めたのです。こういう社会問題は、なにもこのカナダの極北の地にだけ存在するものではありません。世界中どこを見回してもこの種の問題というのは存在すると思います。この映画を観て影響されてガソリンを吸引しようとは思わないでください。この映画の目的は、もちろんガソリンを吸引しないようにするためです。ガソリンを吸引するなという、いわゆる教育的な目的が非常にはっきりしたものであるという風に信じています。
 その囚人の方たちとは、ガソリンを吸引することで一体どういった症状が出るのかというようなことを話しました。幻覚症状であったりだとか、震えがきたりだとか。あるいは家族から自分が無視されている、そういうことが原因となって吸引を始めたとか。あるいは食べることをやめてしまったり――拒食ですね、そういう問題について色々と話し合いをしました。ある時その囚人たちのひとりがこのように語ってくれました。人間だけではなくてホッキョクグマがある時駐車場にやってきて、ガソリンを吸引して幻覚症状のようなものに陥っていたというのです。その時点で私は、この映画については人間のキャラクターではなくて動物のキャラクターを使って作ろうと思いました。ですから『スニッフィング・ベア』の中に登場する動物たちというのは、現実では人間たちであって、いわば比喩の形で動物として現れているのです。
 この2作品は非常に違うものであるということがお分かり頂けると思います。私は映画を作る時に全く違う素材を使い映画制作を行いたいといつも思っています。ですから最初の『砂の城』に関しましては本物の砂を使って作り、『スニッフィング・ベア』では切り紙によるキャラクターを使いました。ではこの2作品を観てみましょう。

<『砂の城』『スニッフィング・ベア』16ミリフィルム上映>

コ・ホードマン 『砂の城』の中のキャラクターですけれども、これが本当に砂から作られたものなのだろうかと皆さん疑問に思われるかもしれません。このように立体を使ったアニメーションで、カメラで直接撮影していますと、色々な技法、色々な工夫をしなければなりません。カメラの撮影の方法ですとか、セットを作ることですね。それ以外にもパペットの素材そのものについてよく知っていなければならないのです。
 この『砂の城』に関して出てきた問題というのは、このパペットたちを砂から作られた生き物であるように見せなければならないということです。色々な素材を試してみました。石膏と混ぜてみたりですとか、色々試してみたのですが上手くいかなくて、結局使い古しの枕に使われているスポンジを使うことにしました。
 (スポンジ、針金、人形を手に取り実演しながら)このようなスポンジの塊をハサミで切っていきまして、彫刻をするような感じで自分の好きな形を作り上げました。そしてこのような鉛でできた針金をねじって骨組みとして使います。これは非常に柔らかく、自分の思う通りの形のままで留まっています。この針金は鉛でもアルミでも構わないのですが、このようにパペットの中に押し込みます。それからこのスポンジの部分をリキッドラテックスと呼ばれる液状のゴムに浸し、砂の中で転がします。表面に砂が付いたところで、まだ乾いていない状態でオーブンの中で焼きます。そうするとこういうものができ上がるわけです。このキャラクターを持ってあちこち旅をしましたので、もう砂が取れてしまっていますが、映画では表面に砂がいっぱい付いた状態で使っています。これが実際に映画の中で使われた他のキャラクターです。この動物たちは全然危険なものではなく、みなさんを食べたりはしませんので大丈夫です。
 (1枚の紙を手に取り)『スニッフィング・ベア』の方ですが、この紙は私自身が手作りしたものです。この白い紙はある種のパターンができていますね。(違う紙を手に取り)犬のキャラクターが出てきますけれども、そちらはこの紙で作りました。ちょっと素材が異なっています。まず普通の紙に動物の絵を描きまして、それからこの紙に写し取っていきます。それをはさみを使わないで手でちぎっていくので、このように端っこがちょっとボサボサっとなるわけですね。今ここには2つしかありませんが、実際の映画には800匹ほどの熊を使いました。
 今ここにあります1枚の紙を使って色々な動きを作ることができます。例えばその方法のひとつに、(熊の形に切り取られた紙を動かしながら)この1枚の紙が歩いていきフレームの外に出てしまってから、方向を変えてまた戻ってくる、という風に使うこともできます。あるいはこのように曲げた状態で、ぐるぐるっと回転して、回りながら歩くという動きを作ることもできます。犬の動きですけれども、歩いているものとか走っているもの、色々出てきますが、実際には5つか6つの動きのサイクルを使いまわしています。

イメージライブラリー・スタッフからの質問

スタッフ ホードマンさんに色々お尋ねしてみたいことがあり、質問の時間を用意させて頂きました。アニメーションは頭の中でイメージしたものをアウトプットして、メディアに定着させるまでに長い時間を要する芸術のひとつではないかと思っています。制作過程の中で手を入れたいと思った瞬間にすぐに手を入れることのできる、例えば筆を使って絵を描いている人や、ノミを入れたいと思って削ることができるような彫刻などに比べると、その結果というものがすぐに見えてこないという不自由さがあると思います。インスピレーションの段階からアニメーションとして完成形に至るまで、どのようにイメージを持続されたり、または展開させていらっしゃるのでしょうか? 多分若い制作者の方というのは、最初に思い付いたことをどのように膨らましていくかということで、その作品の充実度が変わってくるのではないかと思うんですね。それでホードマンさんにもそのことをお伺いしたいなと思います。

コ・ホードマン まず最初に、映画制作というのは非常にお金のかかることで、実に手の込んだ、そういうプロセスだと思っています。例えば絵画の場合、絵描きというのはいったん作った物を気に入らないからと言って捨ててしまう、そういうことも可能です。映画制作の場合はといいますと、結果がちょっと気に入らなかったと言って――もちろん捨て去ることもできるんですけれども、非常にお金がかかっておりますので、それが可能であるとも言えません。フィルム制作の場合、そこには常に多くの人が関わっています。プロデューサーがいますし、局全体の人々が関わっていますし、時にはクライアントがいるわけです。例えば私の頭の中には色々なアイディアがあるわけですが、周りにいる人たちというのは、それがどういうアイディアなのか知りたがっています。ですから私は脚本を書いたり、お話の内容を書いたり、あるいはストーリーボードというものを書き起こさなければなりません。NFBで私がどのように働いているかといいますと、まずいっぱいアイディアを思いつき、ものすごい時間をかけてそのアイディアを膨らませていくのです。そしてそれを紙の上に書きつけたりして目の前に貼ってゆきます。私がスクリプトや絵コンテを描き上げた時は、それをいったんNFBの委員会に対して見せます。この委員会というのは数人のメンバーからなるグループなんですけれども、そのアイディアについてディスカッションをしまして、そのアイディアが実際に映画として実現されるべきかということを話し合います。そしてこの委員会に承認されGOサインを貰ってから、私は制作を始めるわけです。それと同時に予算案も提出します。私たちの映画部門では一定の予算を貰いまして、その予算に応じて映画を作っているわけです。今申し上げましたように、私はGOサインを貰いました。ここに問題があります。ストーリーボードができて、制作についてはGOサインは貰えたわけですけれども、そのアイディアというものに関して一貫性を持たなければなりません。例えば映画制作に際して1年か2年の期間を要するとします。その期間の途中でアイディアを変更するということは不可能です。例えばその1本の作品につきまして、途中で人形のアニメーションからいきなり手描きのアニメーションに変えるということは不可能なわけです。ストーリーであれば別ですけれども。
 1本の作品を最初から最後まで面白いものにし続ける、そういうことはなかなか難しいことです。ただ、私にとって制作期間中というのは、毎日が新しい日であると思っています。まずパペットになるキャラクターを作り、セットを組み立てていきます。そこで色々な困難にぶつかりますが、私はそれを解決していかなければなりません。たいていの場合次の日のことを考えます。夜の間は、今日出てきた問題についてどういう風に解決していこうかということを考えたりします。『砂の城』という作品は特にそうでした。たくさんのアイディアが頭の中にいつも湧き起こっていました。パペットの動きとか、これをこういうように変えていこうとか、人形そのものについて、あるいは、どういうフレームにしようか、どういう構造にしようかというようなことを、いつもいつも頭の中で考えていました。

スタッフ ありがとうございました。私もかつてこの学校でデザインをしたり、油絵を描いたりしていたのですが、委員会の許可を得なくても自画像を描くことができてよかったなと思いました。今お聞きした作業の中で、ホードマンさんがもし一番楽しんでらっしゃる作業があるとすれば、どんな作業なのかお聞きしたいのですが。

コ・ホードマン 私はまずスタジオの中で作業をするのがものすごく好きなんです。私を取り巻く環境なんですけれども、ある一定の大きなスペースがありまして、テーブルの上にセットがあり、そこにカメラがあります。私がそこでやっていることというのは、自分で作ったパペットやセット、そういうものと関係を作っていく、そういうことだと思っています。こういうクリエイティブな作業工程というのは、写真家であれアニメーターであれ絵描きであれ、皆あることだと思います。私にとって一番重要なのは、自分の創造物と向き合っていく、そういう時間なのです。

スタッフ 次の質問ですが、ホードマンさんの作品が収録されたレーザーディスクがあって、そこで私は初めて『砂の城』を見たんですけども、その解説書のメッセージの中に「常に自分自身に問いかけていることは、なぜ、そして誰のために作るかということだ」という風にありました。とても意味深い言葉のように思えまして、そのことについてお聞かせ頂けないでしょうか。

コ・ホードマン まず、映画制作というのはコミュニケーションのひとつの形だと思っています。もし私自身だけのために映画を作るとしたらそれは非常にわがままな行為でありますし、もちろん政府のお金ですから、大きなお金の無駄ということになってしまいます。私の作る作品というのは、非常に個人的なものであるかもしませんけれども、それと同時にひとつのメッセージを伝達しようとしています。私の体験やアイディア、そういうものを観客とシェアしてゆく――それが映画というもので、観客は非常に重要なものだと思っています。映画というのはそれぞれ対象が変わってくると思います。ある時は小さいお子さん向けだったり、大人向けだったり、あるいはいわゆるヤングアダルト層向けであったりだとか。また、あるフィルムは『砂の城』のように色々な観客層を対象にしていたりします。ただ、例えば観客層が小さいお子さんであれば、小さいお子さんの考え方というものを常に念頭において制作を進めます。
 良い例として『砂の城』と『スニッフィング・ベア』、この二つを比べますと、どういう観客が見るだろう? という私の予想は非常に違うものでした。私は『砂の城』をマルチレイヤー、つまり多層の映画だという風に思っています。要するに色々な対象層に受けるという意味なんですけれども、視覚的には子どもに非常に受けがよく、内容的にはいわゆる知識層に受けがいいという風に思っております。

スタッフ 次の質問です。政府の保護を受けながらも制作上では自由を許されたNFBは、アニメーション作家の育成の場としても評価されるものだと思います。作家同士の交流も大きな刺激になったのではないでしょうか。ホードマンさん自身、監督という立場ではなく、キャロライン・リーフの『がちょうと結婚したふくろう』という作品などでアドバイザーとして名前が挙がっています。ここにいる学生も同じだと思うのですが、個性や表現方法が全く違う多くの作家がいる中で、お互いにインスパイアされることも多かったのでしょうか?

コ・ホードマン NFBの作業環境は、実は非常に孤独な作業を強いられるものなんです。私自身もスタジオでひとりで作業をしますし、キャロライン・リーフにしてもアニメーションを作る時は周りのNFBの職員とはほとんど切り離された状態で作業をしていました。これは私たちだけではなく、ほかの作家も同じようなことが言えます。ただ幸運なことに、NFBにはすごく大きなカフェテリアがありまして、皆そこでお昼を持ち寄ってきては食事をしたりコーヒーを飲んだりしていました。私もキャロライン・リーフと一緒にそこで色々なことを話しました。それが時として映画のアイディアというものに繋がっていくこともあります。非常に開放された環境でしたので、色々な人が集まってきてアイディアがさらに広まったりもしました。ただですね、ここにひとつ問題がありまして――というのは、ご存じかもしれませんけれども、NFBはフレンチスタジオとイングリッシュスタジオ、英語の部門とフランス語の部門とに分かれているのです。ですから時としてこの二つの間に大きなギャップがあるという時もありました。前は英語のスタジオが3階に、フランス語のスタジオが1階にありました。それがいわゆる財政的な問題というのも巻き起こしていました。今は同じフロアに英語のスタジオもフランス語のスタジオもあり、それがかえっていい方向に向きまして、今ではこの二つのスタジオの間には色々やり取りがあるということです。ただ、まだ色々な問題が残っていまして、というのは、フランス語のスタジオも英語のスタジオにしても、それぞれ制作についてのプログラムが異なったものだというところです。

NFBの他の作家の作品について

スタッフ それではこれから、NFBの新作の上映に移りたいと思います。その中で『ある1日のはじまり』と『愚か者の村』に関しては今年開催された第8回広島国際アニメーションフェスティバルでグランプリと木下蓮三賞という賞をそれぞれ受賞したものです。

コ・ホードマン これらはそれぞれ非常に異なったものです。まず最初の『ある1日のはじまり』という作品は、二人の女性監督によって作られたものです。ウェンディ・ティルビーアマンダ・フォービスという二人の監督です。これはモントリオールにあるNFBの英語スタジオで作られたものです。
 次の『The Hat』という作品ですが、これも女性の監督のミシェル・クルノワイエという人の作品です。これはNFBのフレンチスタジオで作ったものです。この映画で見るイメージは、決してフランス語圏特有の問題というわけではありません。この作品では性的虐待というものがテーマになっています。皆さんの中にはちょっと不愉快な思いをされる方もいるかもしれません。ミシェル・クルノワイエ監督は、最初はこの作品をコンピューターを使って作ろうとしていました。でもコンピューターの操作にあまり慣れていなかったものですから、もう一度ディスカッションし、それで結局普通に描いて、このアニメーションを仕上げることにしたのです。その時、白黒の作品ということになりました。
 NFBで作るすべての作品がこのように真面目なものというわけではありません。もちろん面白おかしいエンターテイメントの作品というのも作っております。『愚か者の村』がそんな例です。これは古いユダヤのお話に基づくものなんですけれども、監督はユージン・フェドレンコという監督で、トロントで仕事をしている人です。彼はこの映画のアイディアをものすごい昔に思い付きまして、そしてNFBと短期の契約を結びました。ただその契約というのが短すぎて、制作を終えるにはちょっと足りないものでした。そして彼はほかにも色々仕事を抱えていました。生計を立てなければならないわけです。しかもこのフェドレンコ監督はトロントにおりますのでNFBとはあまりコンタクトを取らずに制作を仕上げました。ただ、この作品に関しまして、ユージン・フェドレンコは自分の奥さんと一緒に仕事をしました。ですからそこには色々と面白いやりとりがあったと思います。では、上映を楽しんでください。

<『ある1日のはじまり』『The Hat』『愚か者の村』上映>

『ルドビック』シリーズについて

コ・ホードマン ルドビックはテディベアのキャラクターなんですが、そのシリーズは全部で4作品あります。最初の2作品はもう既に撮り終えています。これからお見せするのは『雪の贈り物』、これは冬のお話です。次は春のお話『ぼくの庭のワニ(ワニのいる庭)』というものです。今、3作品目(『おじいちゃんの家』)を制作中でして、これは夏のお話です。4作品目(『空に浮かぶ魔法』)は秋のお話になるんですけれども、これに関しましてはすべて撮影の準備はできていて、あとは撮影を始めるだけというところになっています。では、この上映が終わりましてからちょっとびっくりさせることがあります。お待ちください。

<『ルドビック 雪の贈り物』上映>

コ・ホードマン ちょっと驚かすことがあると申し上げていましたが、ここにありますのはルドビックなんです。(針金で作られた骨組みを手に持つ。)――もしかしたら違うかもしれませんけれども。――これはどうでしょう? (熊のぬいぐるみに持ち替える)これが実際のルドビックなんです。本当のことを申し上げますと、これは実はルドビックのキャラクターを作る時に一番最初に作ったものなんです。ただ、これは手の長さと足の長さがちょっと気に入りませんでした。ですから映画の中に実際に登場するものとはちょっと違います。映画のために人形を作る時、私がすごく重要なことだと思っていることは、そこに美学というものがあって、私が思っているイメージ通りのデザインに合ったものを作るということです。この人形を作る時に私はある人形作家と共同作業をしました。彼女はこういう縫い仕事、ぬいぐるみを作るのが非常に得意で、彼女と共同で色々話をして作ったんです。まず、二人で一緒にどういうものにしようかというアイディアを出し合いました。それから私がデザイン画を描き彼女が実際の人形を作ったのです。ただ、その前に私はこの骨組みの部分を作っておかなければなりません。(再び針金で作られた骨組みを手に持つ。)『砂の城』の時と同じように、私はこのような骨組みを作りました。素材は先ほども申し上げましたように鉛かアルミということになっています。『砂の城』と同じように、このルドビックの人形を作った女性作家も、やはり骨組みに合わせてスポンジを切ってゆきました。そしてこの、ルドビックの顔になる部分を縫い合わせてゆきます。この映画の中でルドビックはひとりきりではありません。ある日人形を見つけるんです。こんなものです。(男の子の人形を取り出し、その骨組みを動かしながらおじぎの動作をさせる。)この人形の中にもルドビックと同じように骨組みが入っていることを今、お見せしました。アニメーションを作っている時は、こうやって1フレームごとに少しずつ動かして、指先で動かした分を覚えているんです。そうして1コマずつ撮影を進めてゆきます。


質疑応答

質問者1 撮影に関する質問なのですが、『マトリオスカ』で空中に浮かんだまま動いているシーンや、『砂の城』で足場の悪い所で人形が安定して立っているシーンは一体どうやって撮影しているのですか?

コ・ホードマン アニメーションを制作する時に技術的な問題にぶつかるということはよくあります。『マトリオスカ』の場合は確かに人形を宙に浮かせるためにはどうしようかと思い悩みました。空中に吊るすという時には、たいていの場合はタングステンなどの紐を使うんですけれども、『マトリオスカ』では複数の人形が宙に浮いていますので、それでは多すぎるという問題にぶつかりました。そこで非常にシンプルな方法を思いつきました。これはプレキシグラスと呼ばれる強化プラスチックの一種なんですけれども、それをキューブ状にしたものを用意します。(実物を観客に見せる。)それをセットに置きましてその上に人形を置きます。角度によってはプレキシグラスの端っこの線が全く見えませんので、人形が宙に浮いたように見えるわけです。今使っているこのプレキシグラスの立方体はちょっと汚れてしまっていまして透明に見えにくいんですけれども、たいていの場合は表面が非常によく磨いてあります。ですから角度によりましては、カメラを覗きますと全くそこには何も無いように見えるわけです。その上に何を置いても構いません。どんなものでも宙に浮いているように見えるというわけです。『マトリオスカ』を観ても、このキューブは見つけられないと思います。この方法は私の作品のほとんどに使われています。もちろん『砂の城』『ルドビック』にも使われています。
 『砂の城』で使ったセットですけれども、テーブルの上にプラスチックを用いた地形があります。その上に砂をばらまきまして、プラスチックの部分を覆ってしまいます。『砂の城』についての大きな問題は、アニメーションを作っている時に砂を触ってはいけないということでした。砂に跡が付いてしまうとそのショットを全部やり直さなければなりません。時々砂を動かす時もありますけれども。実際の『砂の城』のセットは非常に大きいものでした。背景は青いものを使いまして、まず大きなテーブルにセット全体を載せ、その手前のテーブルに砂の城を作りました。ですから、背景が2つに分かれていましたので、砂を触らずにアニメートすることができたのです。
 人形アニメーションではパペットの足をセットに固定してしまうという手法がよく使われます。セットの板の部分にいっぱい穴を開けておきまして、それをネジ式で止めてしまうのです。私が行ったのは、パペットをセットに立て、その足を非常に小さいピンで固定するというものでした。『砂の城』では、パペットの足に突き刺した小さいピンをプラスチックのセットの表面にまで刺していって、それが支えとなっているのです。ですから私の作品のほとんどは、非常に柔らかい素材でセットが作られています。それがパペットをピンで固定する時に役立つわけです。

質問者2 『ふくろうとカラス』の中で火が燃えている場面がありましたが、その火はどのように撮影されているのでしょうか? あと、ルドビックは顔の表情が変わらないのですが、それなのに感情がよく表現されていたと思います。キャラクターの心理状態などを表現するのに、どのようなことを心がけておられるのでしょうか?

コ・ホードマン まず『ふくろうとカラス』の方の火なんですが、驚くかもしれませんが、これは本物の火を使っています。実はですね、エスキモーたちが料理や照明に使うオイルランプを実際に使っているのです。そんなに大きいものではないのでアニメーションでも使うことができました。普通ですと炎はチラチラ揺れてしまいますけれども、この時はあまり風がない状態でしたので炎はほとんど揺れることがありませんでした。ところがオイルランプというのはすぐオイルが減ってしまうんですね。数フレーム撮影するとオイルの量が減ってしまうため、結局、一定の量を保つために何分かおきにオイルを補充しなければなりませんでした。
 二つ目のご質問ですが、これは私共もよく討論するテーマであります。要するに目の表情ですとか、目の動きですとか、口の動きなどがなくてもどのように感情を表現できるかということです。私は目の動きや口の動きというものが重要だとは思っていません。重要なのは、その表現が適切なものであるかということです。そして、タイミングというものが一番重要だと思っています。例えばここで動かそうとか、ここでは動かしてはならないとか、そういうことを教えるのはちょっと難しいですね。それを習得するには何年もの経験が必要だと思います。でも基本的なルールというものはあります。私が誰かを殴ったとしましょう。この腕の動きというのは非常に素早い動きです。この動きは、最初の1フレーム目はそんなに大きくはなくて、2フレーム目はそれよりもちょっと大きい動き。3フレーム目が今までのフレームの中で一番大きい動き。それが誰かを殴る時の衝撃というものを表します。では次に、誰かと握手するとしましょう。その時の動きというのは優しい動きで、ゆっくりしたものです。ですから、この時の1フレームごとの腕の動きというのはそんなに大きくはありません。少しずつ動いてゆきます。
 時々、人を騙すといってはなんですけれども、動きではなく、要するにジェスチャーで――何か驚いた時の表情を出すのに、手を口の前に持ってくる――これだけで驚いた感情が表現できるわけです。
 私のアニメーションの方法なんですけれども、人形がお辞儀をする時でしたら、カメラの横で実際に自分でお辞儀をしてみせます。それをそのまま人形のアニメーションの動きに利用するのです。アニメーションを作る場合には、本当の動きをよく観察し、それを取り入れることが非常に有効になるのです。
 その次に、先ほど申し上げたタイミングですけれども、例えば優しい動き、激しい動きというのを、フィルムですので1秒24コマとして分割していくことになります。動きそのものも大切ですが、動かないということも時として大事です。例えば、窓の外を見るために首を動かすという動きがあるとします。その後止まった状態は何秒間続くのかということを考えなければいけません。一体それは1秒なのか、2秒なのかということを深く考えなければいけないのです。
 また別の例を説明しましょう。私が釘を打っているとします。金づちを振り下ろして釘を打ちます。まず金づちを振り下ろしているフレーム、釘を打っているフレーム、そしてまた金づちが離れていく、そういう映像が続きます。次に、例えば手で机の表面などを叩いているとします。その時手が机の表面に触れているのはどれくらいか考えなければなりません。それが6フレーム、7フレームぐらいだとします。ボールの動きというのものを練習台にしまして、ものの動きというものを観察し、そこから色々練習することができると思います。

質問者3 映画作りは人とのコミュニケーション手段、自分のために作っているとしたらそれは大きな無駄になる、というお話が印象に残りました。私は彫刻をやっているのですが、いつも考えることが2つあります。彫刻で何が伝えられるのかということと、自分の伝えたいことを伝える手段として彫刻が自分にとって最適かどうかということです。その答えはまだ出ていないのですが。ホードマンさんのプロフィールを見せて頂くと、色々なことをなさっていて、学校にたくさん通っていらっしゃるのですが、ホードマンさんは最初からアニメーションをやりたいと思っていたのでしょうか? それとも、アニメーションがそういうコミュニケーション手段として自分にとって最適だと考えるきっかけが何かあったのか、最適だと考えていらっしゃるならその理由を教えて下さい。

コ・ホードマン 彫刻を作る時に、彫刻そのものはほかの人によって見られるわけですよね。ですからどういう形のものを作るか、自分の美学がどう生かされるかということが非常に重要だと思います。見る人が色々な角度からその彫刻を見るわけで、作る側としても、どういう角度から見られるかということを常に心がけていなければなりません。彫刻というものは動きません。動かないものですけれども、そこに何か伝えようとするメッセージがあるわけです。例えば苦悩ですとか苦痛、悲しみ、あるいは幸せな感情、そういうものが表現されると思います。そういう感情を彫刻に表すということで、あなたはうまくいくんじゃないかと思います。
 私の場合は人形を使ったアニメーションですから、ひとつの感情から次の感情へ、あるいはひとつのジェスチャーからもうひとつのジェスチャーへと移る、そういう過程を描いているわけです。彫刻の場合はシリーズでも作らない限り、常にそこにはひとつのものしかありません。自分を表現する方法というのは、たくさんあってしかるべきだと思います。例えば絵画ですとか、彫刻ですとか、あるいは映像、色々ありますけれど、それに対して自分がこれでいいと感じるならば、そのメディアを使うことに自分が非常に楽な気持で接することができれば、それでいいのではないかと思います。
 確かに私自身色々な教育を受けてきました。例えば実写の映画のカメラマンとしての教育を受けました。そして正式に美術教育を受けたのは、実は写真でした。それからまた別の美術学校に行きましたが、それは彫刻でした。彫刻のコースというのはそんなに長くは続きませんでした。それから色々経験を積みましたが、ただひとつ、描くということにはあまり経験がありませんでした。一生を通じて人は色々な教育を受けることが可能だと思います。ただ私の場合、学校で教わるには難しいことを探していました。それは人を観察することです。人が色々なアクションをして、色々な行動を起こしている。あるいは色々な動きをしている。あるいは色々な感情を表現している。私はそういう人たちを観察するということを探していました。
 スタジオの中で働き始めてから、私はその環境が自分にとって心地良いものであるということが分かりました。照明を動かしたり、カメラを操作したり、セットを作ったり、人形を動かしたりということが、私には非常に気持ちのいいことでした。たいていの場合、私はひとりで作業をします。ただ、時には他のアーティストの力を借りることもあります。ルドビックのフィルムに関して言えば、例えば人形作家に人形作りをお願いしました。美術セットについても他の人にお願いしました。小道具などもそうです。時にはこのように他の人の力を借りなければならないこともあるのです。
 私が自分の手を使って手作業の仕事をしたいと思ったのは、私が15歳の時でした。私はその時オランダにおりまして、私が住んでいる町の中、家のすぐそばに映画会社がありました。その映画会社でアシスタントを探していまして、雇われることになりました。ただ、最初に私がやっていたのは非常に安い賃金で働かされているという、そういうものでした。その会社で私は色々なことを学びました。ラボのこと、編集のこと、カメラ撮影のことなど、いわゆる実写の撮影に関することです。ただ、その時はアニメーションというのは非常に私からは遠い存在でした。
 1958年にそこでチェコの人形アニメーションの回顧展がありました。そこで私はその人形アニメーションというものに魅了されまして、その時初めて人形のアニメーションを作ってみようと思ったのです。その時オランダには映画の学校というものはありませんでした。世界中のどこを探しても、おそらくそんなに数はなった時代だと思います。それで私は仕事をしながら(人形アニメーションのことを)覚えようと決意したのです。

スタッフ 予定の時間をだいぶオーバーしてしまいました。色々なお話が聞けてとても楽しい講座になりました。今日、ホードマンさんがムサビにいらっしゃって、私たちから記念にひとつ何かプレゼントをしたいなと思って考えました。(プレゼントを手渡す。)

コ・ホードマン 皆さんこの中身を知りたいんじゃないかと思います。私ももちろん知りたんですけれども。(プレゼントの包みを開ける。)

スタッフ 日本の伝統的な布で作ったテディベアです。

コ・ホードマン すばらしいです。これで映画を作ろうとは思っていませんけれでも、家の中にちゃんと場所ができると思います。

スタッフ それでは最後に、たくさんの人形を持ってムサビにきてくださったホードマンさんと、とても分かりやすい通訳をしてくださった清瀬さんに拍手をお願いします。

(2000年9月25日収録。掲載に当たって内容の一部を割愛・編集しております。名称・役職名等は当時のものです。)