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第12回イメージライブラリー課外講座
「映画監督・山中貞雄の作品研究『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』」の記録

立花教授
立花教授

講師:立花義遼教授(武蔵野美術大学教授 2010年退任)
開催日:2000年12月7日

 

この講座について

山中貞雄は戦前の日本映画、特に時代劇の世界で活躍した監督です。それまでの時代劇は歌舞伎からの影響が強く、型にはまったものが多かったのですが、山中貞雄の描く英雄はどこか頼りない、庶民的で親しみやすい人物ばかりでした。『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』の主人公も、原作の怪剣士とは遠い、人情深い人物像として描かれていますが、そこには時代を経てもなお共感できるものがあります。また、スピーディな物語展開や独特の編集技術は、その後の日本映画に多大な影響を及ぼしました。本講座では、作品の主題・手法を解説しながら、その魅力に迫ります。

山中貞雄
1909年京都に生まれる。マキノ映画に憧れ、18歳で撮影所に入る。始めは脚本部で下積みを重ね、22歳で監督デビュー。批評家の目にとまり話題となる。その後も時代劇ばかり20本以上監督し、アメリカ映画や交友のあった小津安二郎からの強い影響を窺わせるその作風は常に高い評価を受けた。しかし、28歳の若さで戦地へと招集され、短い生涯を終えた。

『丹下左膳』と時代背景

 心理学の立花です。『丹下左膳』という作品について話をします。私は映画の前に解説するのは駄目だという考え方なので、4、5分話して、映画を観てから、ああだこうだと話そうと思っています。一つだけ、というか三つくらい言っておきますと、『丹下左膳』には原作があるんです。これは昭和2年に書かれた小説です。大衆小説というものですが、そこに、とんでもない怪物が登場している。丹下左膳が片目片腕という恐ろしく怖い人間像になっているんです。その小説が、確か昭和3年に映画化されたんです。それがある種の怪物性が非常に強調された作品だったんです。これは大ヒットしました。その後撮られた、山中貞雄監督による『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』は、丹下左膳の怪物性を捨てて、家庭劇のような、そういう状況に書き換えられている作品です。これを原作者が非常に怒りまして、そういうものは作っちゃいけないと言ったらしいんですが、それでも作ったという、そういう作品です。この映画の監督、山中貞雄に関しては『イメージライブラリー・ニュース』(2000年11月 第6号)に詳しい解説がありますので読んでいただければいいと思いますが、この人は1909年に生まれて、1938年に28歳で亡くなってしまった監督で、天才監督と言われた方ですが、その時代に他にどういう監督がいたかということをちょっとだけ言っておきます。
 まず、伊藤大輔がいます。この監督は1898年に生まれて1981年に亡くなったんですが、この監督が第一回目の『丹下左膳』を撮った。これが、さっき言ったように怪物性が非常に強調されたもので、凄まじい人気があったんです。彼は丹下左膳を2、3本作っているはずです。この人の同時代というか、ちょっと後に生まれた監督に、皆さんがよく知っている小津安二郎がいました。そして、この中間には伊丹万作がいる。この方の息子さんは非常に活躍して、残念ながらつい何年か前に不幸なことになった伊丹十三さんです。伊藤大輔、伊丹万作、そして小津安二郎、その次に年齢順でいきますと山中貞雄が出てきます。小津安二郎と山中貞雄はたいへん仲が良かった。小津監督は非常に山中貞雄のことを評価していまして、彼が戦争で亡くなったときには大きなショックを受けたということが、小津さんの日記などに書かれています。伊藤大輔が作った非常に緊迫感のある『丹下左膳』…私は残された断片的なフィルムの1、2シーンぐらいしか観てないんですが、その時代の人に熱狂的に支持されたというその作品を、この山中貞雄が新たに作ったのが『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』です。
 それから、原作は林不忘という人が書いている。この人の原作、そして伊藤大輔版の映画『丹下左膳』、山中貞雄版、この三つがどういう関係になっているのかが映画ファンたちの話題になりました。
 そして、大河内傳次郎という役者がいます。この人は伊藤大輔版でも丹下左膳を演じている。この後、戦後にも演じているものがあるんですね。この『丹下左膳』というのは色んな役者が演じているんです。色んな人たちが演じています。今日は『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』の上映後、丹波哲郎が演じているものを一部だけ紹介しますが、これが実に馬鹿馬鹿しくて面白いです。時代劇の大スターと言われている人は大体丹下左膳を演じているんですね。例えば、あなた方は名前だけ知っているかもしれませんが、阪東妻三郎なんて人も演じているし、比較的最近ですと中村錦之助。その後名前が変わっていますが、昔の名前で言いますと中村錦之助…錦ちゃんです。みんな丹下左膳をやりたいんですね。そのぐらいのヒーロー、怪物、モンスター、なんです。ところがそのモンスターが山中貞雄版ではモンスターとして描かれていないという、その面白さ。だから今日あなた方がこれを観て笑うか笑わないかということに、私は非常に興味を持っているんです。どのくらいみんなが笑うのか、その一点にかかっています。私は、この映画を割と後で観たんです。観た日をよく覚えている。それは私の父親が死にまして、お葬式の日だったんですよ。その時に、ちょっと時間があるからと思ってこの映画を観たわけです。それでゲラゲラ笑っちゃいましてね。葬式の日にゲラゲラ笑って、なんか、もう「あぁ」って思って。そういう作品だったんです。だから皆さんが今日どれくらい笑えるか、というそのへんについて私は興味を持っています。

<『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』上映>

丹下左膳を演じた役者たち

 30分弱程ですが話をしようと思います。この丹下左膳というのはさっきも言いましたように、日本映画のある時代の大ヒーローなんですね、化け物というか。それが山中貞雄版ではまるで違った扱いになっていて、今日はみなさん、けっこう笑っていましたね。『丹下左膳』の色々な一連の映画を全部観てから山中貞雄版を観ると、非常に面白い。それぞれ丹下左膳が全然違った人間像で、しかも登場人物は全部同じなんだけど、その役割が全部違う。
 丹下左膳を演じたことのある役者が出演している映画で、参考映像があるのでお見せします。一番最初に出てくるのが、阪東妻三郎。おそらくあなた方は彼を知らないけれども、その息子さんたちはよく知っていると思います。田村正和という、非常に人気のある人。それから、田村高廣という田村正和のお兄さん、あともう一人弟さんがいて田村三兄弟と言われていますが、そのお父さんです。阪東妻三郎の映画でこの抜粋映像に収録したのは『無法松の一生』です。その次が、大河内傳次郎で、山中貞雄版で丹下左膳を演じた人。彼は大大スターなんですが、この人が、他の映画でどういう役を演じていたかということを見てもらいます。それから、昭和30年代後半ぐらいに、丹下左膳を東映で演じた大友柳太郎という役者さんがちらっと出てきます。大友柳太郎と一緒に出ているのが、月形龍之介といって、あなた方は知らないと思いますが、水戸黄門を映画で作ったときに当たり役になった人です。それから中村錦之助がどんな顔なのかというのをちらっと紹介します。この人も丹下左膳を演じています。そして、一番最後に、丹波哲郎の丹下左膳が出てきます。ここで先程の大河内傳次郎の丹下左膳は、どちら側の腕がなくて、どちらの目がつぶれていたかというのを思い出してください。そして、その記憶をたどりながら丹波版の『丹下左膳』を観てください。そうすると、非常に面白いことが分かります。それでは、上映します。

<参考映像の上映>

無法松の一生』:この人が妻三郎ですね。で、この後ろ向きの少年が長門裕之なんです。津川雅彦のお兄さんです。
わが青春に悔いなし』:この人が大河内傳次郎です。大学教授の役をやっています。
『水戸黄門』:この人が月形龍之介で、こちらが大友柳太郎。向こうにいるのが里見浩太郎が若いとき。
『丹下左膳(丹波版)』:そして、丹波哲郎。ここで、丹波哲郎は二役やっているんです。

 丹下左膳を演じた役者たちの顔写真がここにあるので、スクリーンに映してもらいます。これをじっくり見てください。みんな右側の目がつぶれている。これが錦之助、これが水島道太郎という人、これが阪東妻三郎、一番上が大河内傳次郎、その向こうが大友柳太郎で、これは中村竹弥…テレビ版です、これが松山英太郎といって、この人もテレビ版です。みんな右側の目がつぶれているんですが、丹波哲郎だけ逆なんですね。丹下左膳はですね、左手でチャンバラをするという、それが一つの凄いところなんです。ところが、丹波哲郎って人は、面白いんですが、左手でチャンバラするには稽古をしなきゃいけない、稽古が嫌だから「俺はそんなこと出来ねぇよ」って、腕を右に変えちゃったという、そういう非常にフトい人なんです。丹波さんだけがこういうことをやってしまった。丹波さんは、右手でもってチャンバラをやった。まあ、このへんが、戦後に丹下左膳を演じた役者たちのスチールです。ということで、ここはひとつ終わります。
 それから、映画史の本を読みますと、大河内傳次郎が初めての丹下左膳だという風になっているんですが、実はそれは間違いなんです。第一号は、團徳麿という、もうとっくに亡くなっていて、ある時期はスターだったんですが、その後ずっとスターの場を退いて脇役をやっていた方なんですが、その方が確か昭和3年の5月6日封切りの丹下左膳をやっているんです。その後の5月31日封切りの伊藤大輔版で大河内傳次郎が丹下左膳をやったということですから、その最初の人が忘れられてしまって、二代目がトップだと言われているんです。そのことは、ちゃんと映画史に残しておかなければいけないんじゃないかということを言っている人は何人かいます。丹下左膳のスタートは大河内というのは、違うということです。團徳麿さんという役者がどういう人かというと、色々なメイクをして怪優といわれた人なんです。(團徳麿の顔写真を提示して*1)こういうメイクをするんですね。それからこれもそうです。それから次のページのこれが全部團徳麿です。この方は1960年代ぐらいまで脇役でしばしば映画に出ていました。素顔はこうです。そして、特殊メイクだけでなく、全身を曲げて小人の役までやっちゃうんです。こういった本も出ています。ここまでやった人です。クローネンバーグという監督がよく使う特殊メイクアーティストに、リック・ベイカーという人がいて、彼は非常に色々なメイクをするということで有名なんですが、この團さんがリック・ベイカーよりはるか前にこういうことをやっているんです。リック・ベイカーは知らないだろうと思いますが、知ったらビックリするでしょう。こういう人が昭和の初めにいたということです。

 あともう少し、この丹下左膳について話をします。丹下左膳の小説で、どのようなイラストが描かれているのかというのを、お見せします。化け物化け物っていうんですが、一番最初はこういうイラストだったんです。実は、本当の主役は源三郎の方なんです。柳生源三郎といって、柳生の出身なんですね。これが、美剣士で、美剣士対怪物というものだったんだけれども、小説が進行していく間に美剣士がすっ飛んでしまって、それで怪物の方が主役になっていくという、そういう構造になっているんです。ところが、その美剣士が山中貞雄版『丹下左膳』では弱っぴりのような、ちょっととぼけた人になっていますね。それがこの映画の面白いところでもあります。そして、その源三郎を演じた人が、澤村國太郎というんですが、この人は、長門裕之、そして津川雅彦のお父さんです。それから、大河内傳次郎のパートナーを演じているおばさん、あの人は元は本物の新橋の芸者で、俳優ではないんです。だから、三味線を弾くのは上手なんです。セリフが何となく訛ってあんまり上手くないでしょう。それは、素人だからなんです。それから、林海象という映画監督が1986年に『夢みるように眠りたい』という映画を撮っています。その時のかなり大きな役で出てくるお婆ちゃんがいるんですが、そのお婆ちゃんが、山中貞雄版『丹下左膳』の源三郎の相手役の女の子、お久と言う娘なんです。彼女は深水さんというのですが、山中貞雄版に出てからずっと映画に出ていなかったんですが、海象さんが探し出して、彼の映画に再登場したということです。
 もう少し大河内傳次郎についてお話しますと、この役者さんは、口跡が悪いんですね。例えば、この映画でも「姓は丹下、名は左膳」を「しぇいはたんげ、なはさじぇん」といった風に言うんですね。もの真似の対象になった人です。この人は大スターだったんですが、昭和30年代くらいになるとほとんど脇役で出るんです。あんな大スターがこんな脇役で、というのはちょっとおかしいんじゃないか、大河内さんはお金が欲しいんだ、と言われていたんです。実は、彼にはある目的があったんですね。そのために、どうでもいいような映画に出演して出演料を取っていたんです。それは何かと言いますと、京都の嵐山の近くに山を買ったんです。次々と山を買って、そこに大河内山荘という山荘を作ったんですね。そして、そこに家を建てて、庭に置く石を一個買うために映画に一本出るというような、そういうことをやっていたんです。その大河内山荘というのは今でもあります。これは素晴らしい所です。京都に行ったら是非そこに行くといいと思います。山一帯が全部庭園になっていましてね、いくつかの茶屋があったりして、てっぺんまで行くと、その下の向こう側に保津川が流れている、そういうところです。私も京都に行くと三回に一回くらいはそこに行くんですが、良い山と石と岩を使って、おそらく何万坪かはあるでしょうね。確か大河内さんの息子さんが管理していたんですが、今は、孫の方が管理しているんじゃないかと思いますが…。

小説『丹下左膳』と映画『丹下左膳』

 ということで、役者に関する解説はこれで終わりまして、山中貞雄版『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』について言いたいことがもう一つだけあります。長谷川海太郎という人がいました。この人は、林不忘という名前で時代劇を書いています。また、谷譲次という名前でまた違ったものを書いています。それからもうひとつ、牧逸馬という名前でまた違ったものを書いている。一人で三つのペンネームを使い分けていて、当時のベストセラー作家だったんです。『牧逸馬三人全集』といった本が出たりする超売れっ子の作家だったんですね。その中で最も人々に好かれたのが林不忘名で書いた『丹下左膳』なんです。この人は1900年に生まれて1935年に死んでいる。だから35歳で亡くなったわけですが、比較的作家としては短い生涯の中で、三人の名前を使い分けて膨大な小説を書いたという、そういう人なんです。林不忘の小説で、『大岡政談』という…大岡越前守の大岡さばきですね、その中に丹下左膳が登場してくる。だから最初の頃の主人公は大岡越前なんです。そしてもう一人のヒーローが柳生源三郎なんですが、それが丹下左膳の方にどんどん話が移って行ってしまった。この『丹下左膳』という小説は、モンスターの話になってくるわけですね。この丹下左膳はどうして目がつぶれて、腕がないのかという説明は一切ないままに登場するんです。林不忘の『丹下左膳』はどういう設定になってるかというと、昔の奥州−今の東北、奥州相馬藩と言ったりしますが、そこの大名が相馬大膳亮とか言ったと思うんですが、その大膳亮が刀剣のコレクターなんです。それで、どうしても自分の欲しい刀があって、それを取ってこいということを自分の藩の侍に命じるんです。それで、刀を奪いに江戸に行って暴れまわったのが丹下左膳なんです。ところが、段々事が大きくなってきてその事が幕府に知られると、大膳亮という殿様は「お前なんか知らない」と丹下左膳に言うんです。つまり、丹下左膳に命令をしておきながら、自分が危なくなると、それを見捨てるという話になっているんです。これはいわゆる封建社会のある種の非情さというか、そういうものを少し書いているわけです。原作の方ではさほど強調されていなかった、封建社会に対する批判を非常に強調したのが伊藤大輔版の『丹下左膳』です。だから、これは当時の社会状況から言いますと、封建社会に対する反逆者として丹下左膳を設定しているということになります。さっきちょっと言ったんですが、私はこの映画は観てないんです。断片的なスチールとか、そういうものは見ていますが、この映画は残ってないはずです。伊藤大輔は封建社会に対する反逆者として丹下左膳、そして国定忠治というヤクザを主人公にした、「忠治もの」というのを作っているんです。この二つは大ヒットしました。伊藤大輔監督の『丹下左膳』と『国定忠治』、両方の主役を演じたのが大河内傳次郎です。『国定忠治』の伊藤大輔版を観ていなかったんですが、何年か前にどこかの倉庫に入ってたのが発見されたんです。それが東京国立近代美術館フィルムセンターで上映されて、私はやっと原版を観ることができたんです。そのように、反逆であるとか、そういうところが非常に強かったものを、山中監督はまるで違う風に作ったんです。これは、今の言葉で言うとdeconstruction、脱構築ということになります。もう既にこの時代にそういうことをやっているということです。最近、ポストモダンという状況の中でよく言われることですね。ということは、ある一つのストーリー、テキストを、どういう風にある時代ある時代において意味付けるかということなんです。それは、その時代状況によって変わってくるということ。だから、そういう意味では『丹下左膳』というものは、伊藤大輔版の映画、そして山中貞雄版の映画においてテキストのdeconstructionが明確に読み取れるような作りになっているということです。どのように状況を変えて、どういう風に作るかという、その上手さが非常にあると思います。全然違うものに作りあげているわけです。山中貞雄版『丹下左膳』をじっくり観たところ、原作者の名前は出てこなかったでしょう? 林不忘さんはこれは駄目だと言ったんですね。ですから、この作品は原作者がなく、番外編の様に作られた作品なんですが、今日、その時代の丹下左膳として残っているのはこれだけなんです。そんなところにこの映画の面白さがあるんじゃないか。
 それから今日観て気が付いたんですが、山中さんの上手さは省略ですね。省略が非常に上手い。省略する前に色々間をもたせてみて、次にパッと省略するというやり方。だから、いかに省略ということが芸術的な効果を持つか、ということの証明にもなっているのではないかと、そんなことを思いました。一応私の話は終わりです。皆さんどうですか?  山中貞雄版を観て面白かったなと思う人、ちょっと手挙げてくれる?  そうでしょ、かなり笑えるでしょ。特に最後の方で二人でチャンバラをするときに「負けてくれ」と言うところ、あれは凄い。ああいうことを平気でやるという、その面白さですね。それから丹下左膳とお藤のカップルが面白い。現代的にみても良いし、テンポもありますしね。私も今日また観て、面白いなと思ったんです。以前観たときには丹下左膳の色んな映画を観ていて、それで意外性にビックリして非常に笑ったんですが、今日はそれらとは切り離してみても、面白いな、と思いました。あなた方もそう思ってくれたんじゃないかと思っています。じゃあ、これで終りにしましょう。

※名称・役職名等は当時のものです。

(2000年12月7日収録。掲載に当たって内容の一部を割愛・編集しております。名称・役職名等は当時のものです。)