武蔵野美術大学 美術館・図書館 イメージライブラリー

第39回イメージライブラリー映像講座
「アンディ・ウォーホルの映画:ミニマリズムからナラティブへ」の記録

この講座について

ポップ・アートを代表するアーティスト、アンディ・ウォーホルは、1963年頃から数年間映画制作に熱中し、膨大な数のフィルムを残しています。初期はカメラも対象物も殆ど動かないミニマリズム映画でしたが、やがてファクトリーに集う個性豊かな人々を被写体にした物語性のある作風に変化していきます。 本講座では、美術・映像批評家の西村智弘氏をお招きし、ウォーホル映画の変遷を辿りながら、その魅力についてお話ししていただきました。また、『イート』(1963年)のオリジナル16mmフィルムを上映しました。

はじめに

西村 西村智弘です。よろしくお願いします。最初に、アンディ・ウォーホルの映画と私の関わりについて少し話をしますと、私は美術出版社が主催した芸術評論の公募に入選して、映像や美術の批評をするようになりました。そのとき応募した論文のテーマがウォーホルの映画でした。批評家としてのデビューがウォーホルの映画についての論文だったわけで、私自身にとってもウォーホルの映画は一つの原点というか、ずっと関心のあるテーマになっています。
 ウォーホルに関しては、わざわざ説明するまでもない、ポップ・アートを代表する作家の一人です。けれども、ポップ・アートの美術作品は知っていてもウォーホルが映画を撮っていたことは知らない、あるいは、ウォーホルが映画を撮っていたことは知っていてもその映画を見たことがない、そういう人は多いのではないかと思います。今日は『イート』のフィルムを上映しますが、ウォーホルの映画がきちんとフィルムで上映されることはなかなかありません。4年ほど前に札幌で上映されたらしいですが、おそらく東京では10年以上上映されていないはずです。だから、今日のフィルム上映は貴重な機会になると思います。

 ウォーホルの映画は実に変わっています。かなり独自なものがあって、映画の歴史の上で考えても特異な存在です。また、ウォーホルの映画はポップ・アートのイメージとかなり異なります。一般的にポップ・アートというと、漫画や広告、あるいは映画スターといった誰でもよく知っている大衆的なイメージを使います。サブカルチャー的なものを引き寄せた親しみやすいアート、そういう理解があると思いますが、この親しみやすさがウォーホルの映画には欠けています。むしろかなり親しみにくくて、映画を見るのに忍耐を強いるところがあります。それでは、ポップ・アートと映画で違うことをやっていたのかというと、そういうわけでもないんです。両者には共通するところもあります。このことを考えるために、まずウォーホルが映画を作っていた時期に目を向けてみたいと思います。
 ウォーホルは1928年に生まれていて、1949年にカーネギー工科大学を卒業しています。卒業すると同時に商業アーティストとして活動し、10年ぐらい続けていました。商業アート時代の作品は、いま見ても実に魅力的です。そのまま商業アートを続けたとしても、その世界で名前を残したと思います。しかし、ウォーホルは商業アートに満足していなくて、ファインアートを目指すようになります。それが1960年のことでした。この年にウォーホルは、漫画や広告の絵画を描き始めます。最初は試行錯誤の中で作っていて、そのうちにシルクスクリーンと出会います。1962年にキャンベルスープ缶の連作で個展を行いますが、これがファインアートの作家としての本格的なデビューでした。翌年には「ファクトリー」と呼ばれたスタジオをニューヨークに構えます。ファクトリーには、女優とか詩人とか写真家など多くの人が集まるたまり場になりました。
 1962年は、アメリカの美術界でポップ・アートが評判になった年です。ちょうどそのときにウォーホルが登場し、すぐにポップ・アートの画家として注目を浴びます。1962年、63年は、ウォーホルにとっても充実した時期で、完成度の高い作品を残しています。『マリリン・モンロー』のような代表作をはじめ、『電気椅子』のような緊張感のある作品を作っていたのがこの頃です。ウォーホルのポップ・アートを考える上で最も重要な時期といえますが、映画の制作を始めたのも同じ頃でした。ウォーホルは、1963年に16mmカメラを買って映画を撮り始めます。ポップ・アートの作家として注目を浴びて間もない頃です。つまり、ポップ・アートのすぐれた作品を作った脂の乗っている時期に映画の制作を始めたわけです。
 ここで強調しておきたいのは、ウォーホルは決して美術作品を作る片手間に映画を撮っていたわけではないことです。自分の仕事は美術が中心で、映画は周辺的な仕事だと思っていたわけではありませんでした。1965年にウォーホルは、自分の個展のオープニングで「美術から引退し、映画に専念する」という発言をします。ウォーホルはけっこう嘘をつく人でしたが、これは本気でした。翌年にウォーホルは、キャステリ画廊で『牛の壁紙』と『銀の雲』を発表します。『牛の壁紙』は、牛の壁紙を壁いっぱいに貼った作品、『銀の雲』は、銀色の枕みたいな風船にヘリウムガスを入れて宙に浮かべた作品です。ウォーホルは、この『牛の壁紙』と『銀の雲』で美術の仕事は終わりだと思っていました。実際に美術の制作をやめるわけではありませんが、制作の中心が映画に移行したのは事実です。60年代の後半にウォーホルは、絵画の新しいシリーズを手掛けていません。1972年の『毛沢東』までまとまったシリーズがないんです。なぜかといえば、映画の制作に専念していたからです。1965年に美術を引退して映画に専念すると発言したのは、まったくの嘘でもなかったといえます。それぐらいウォーホルは映画に想いをかけていたし、本気で取り組んでいたわけです。
 ウォーホルが映画の制作に関わっていたのは、1963年からほぼ10年のあいだです。ウォーホルは、1972年の『毛沢東』シリーズで美術家として復帰しますが、同じ年に過去に制作した映画を配給ルートから外してしまいます。映画に対する関心をなくしたのがこの頃のようです。ウォーホルが映画に関わっていた時期は決して長くありませんが、そのあいだに作風を大きく変化させています。私はウォーホルの映画を四つの時期に分けてみました。第一期が“ミニマリズムの時代”、第二期が“(セミ)ドキュメンタリーの時代”、第三期が“ナラティブの時代”、第四期が“プロデュースの時代”です。プロデュースの時代は、自分で制作するのではなくてポール・モリセイに作品を作らせました。ウォーホルが自分で映画を制作したのは第一期から第三期までで、注目すべき作品もこのあいだにあります。この期間にウォーホルはほぼ2年単位ぐらいで作風を変化させています。非常に速いペースで異なるスタイルに移行したといえます。第一期、第二期、第三期を順番に見ていきたいと思います。

第一期:ミニマリズムの時代

 ウォーホルの映画でよく知られているのが、第一期の“ミニマリズムの時代”の作品です。この時期の特徴は、ほとんど何も起こらない映像が延々と続くことです。ミニマルとは最小限の要素で成立していることですが、映画においてミニマルとはどういうことかいうと、表現的な要素を削ぎ落としてしまった状態だと考えることができます。一般に映画の作り手は、映画を制作する上で様々なことを行っているわけですが、ウォーホルはできるだけ何もやらない方向に向かいます。まず、固定ショットで撮影してカメラを動かしません。それから、基本的に編集をしません。さらに音がなくて、サイレント映画です。また、モノクロで色がありません。本来ならば映画の表現を豊かにしてくれる要素を作品から取り除いてしまいます。
 もう一つ、“ミニマリズムの時代”の大きな特徴は、通常24コマで映写するところを16コマで映写することです。16コマで映写するとどうなるかといえば、遅くなるわけです。もともと何も起こらない映画なのに、スローモーションにしてしまう。そうすることで、何も起こらないことを強調したといえます。16コマで映写することに関しては有名な話があって、映像作家のスタン・ブラッケージがウォーホルの映画の話を聞いて、ブラッケージは山の奥の方に住んでいたのですが、わざわざウォーホルの映画を見るためにニューヨークのジョナス・メカスのシネマテークを尋ねてきます。そして、「ウォーホルの映画が話題になっているが、いったいどういうものなんだ、見せてくれ」と言うので、メカスが見せるんですね。見終わった後にブラッケージは、「こんなものはどうしようもない、みんな騙されてるんだ」と怒ったわけです。メカスは、その映画が16コマじゃなくて24コマで映写されたことに気づいて、ブラッケージに「この作品は24コマじゃなくて16コマで映写するものだから、申し訳ないけれどもう一回見てくれ」と言いました。それでブラッケージは16コマで同じ作品を見るんですが、見た後に「これはすごい。ウォーホルの才能は本物だ」と言ったそうです。実際のところ、24コマで映写するのと16コマで映写するのは、それほど大きな違いがあるわけではないです。ちょっとゆっくりになるくらいです。しかし両方を見比べてみると、やはり16コマで映写すべき作品だと思います。24コマで映写してしまうと、なんというか、なんの抵抗もないつまらない映画になってしまいます。16コマで映写した方が独特の時間が流れていて、別なものになっている印象を受けます。微妙な違いですが、16コマで映写することには意味があると思います。
 表現的な要素を排除していくことに関して、メカスがなかなか面白い指摘をしています。メカスは、「アンディはリュミエールに行き着いた」と言っています。リュミエール兄弟は、19世紀の終わりに映画を発明した人です。リュミエール兄弟とウォーホルの初期の映画には確かに似たところがあります。どこが似ているのかというと、カメラを動かさない、編集をしない、音がない、モノクロであることです。リュミエール兄弟の映画は、劇映画の文法が確立される以前の作品です。彼らには、カメラを動かす、フィルムを編集するという発想自体がありませんでした。ウォーホルのミニマリズム映画は、表現的な要素をどんどん排除しているわけですが、そうした作品が、映画が表現性を獲得する以前のリュミエール兄弟の作品に近づいていくのは、ある意味で当然だといえるでしょう。映画から表現性を排除することで、ウォーホルは映画の始まりの状態に辿り着いてしまったわけです。
 “ミニマリズムの時代”の映画は、とにかく何も起こらないわけです。それをもっとも徹底させたのが『エンパイア』で、エンパイアステートビルを固定カメラで撮影したものを8時間にわたって上映する作品です。ウォーホルの映画の中でも究極のミニマリズムといえます。しかし、作られた順番にウォーホルの映画を見ていくと、いきなり究極をやるのではなく、少しずつ表現性を排除していくという探究の跡が認められます。ウォーホルが最初に作った映画は1963年の『スリープ』で、眠っている男を撮影した6時間の作品でした。『スリープ』には眠っている人しか映っていませんが、けっこう編集されています。いろいろな角度から寝ている男を撮影しているし、全身が映っているところもあれば、体の部分をクローズアップにしているところもあって、そうした様々なショットを構成しています。つまり、意図的な編集作業が行われているわけです。その後、ウォーホルは『キス』を作ります。キスをしているカップルを撮影した作品です。これは少し見てもらいましょう。

<『キス』部分上映>

 たくさんのキス・シーンをつないだ作品です。これを『スリープ』と比較してみると、『スリープ』ではいろいろな角度から撮られたショットが編集されていました。『キス』の場合も、キス・シーンがいくつもあるわけですが、正面から撮影したものをランダムにつないだだけで、ショットを構成しようとする態度が希薄になっています。なお、『キス』には男と女だけじゃなくて男と男のカップルもけっこう出てきます。ここには、ウォーホルがゲイだということが関係しています。
 その後、『イート』を作りますが、この映画はレクチャーのあとに見てもらうので、少しだけ話をすると、これは男が食べているところを延々と撮影した作品です。『イート』は、基本的にワンショットで撮影されています。つまり、この作品では編集という作業自体がなくなっています。そして、ウォーホルは『エンパイア』を作ります。これも一部を見てもらいます。

<『エンパイア』部分上映>

 『イート』は食べるところを撮影しただけの作品でしたが、まだ“食べる”という行為がありました。しかし『エンパイア』になると、行為すらなくなってしまい、不動のビルが映っているだけです。
 『スリープ』『キス』『イート』『エンパイア』と順番に見ていくと、よりストイックに、よりミニマルに向かう方向性を認めることができます。それでは、なぜウォーホルはこうした映画を作ったのか。ウォーホルが初期のミニマリズム映画について語ったものがあるので、その一部を読んでみます。 「静止した対象を扱った初期の映画は、観客が自分に目を向けるようにするものでもあったんだ。普通の映画に行ったらファンタジーの世界の中ですわってる。でももし何か邪魔がはいったら隣の人のことが気になり始めたりするだろ。(…)僕の映画を見ていると、ほかの映画を見ているよりいろいろなことができる。食べて飲んで煙草を吸って咳をしてよそを見てもまた画面のほうを向いてもまだそこにあるんだよ」(グレッチェン・バーグによるインタビュー)。  『エンパイア』の上映時間は8時間です。実際のところ、何も動かないものが8時間続く映画を客席に座って見続けるのは不可能でしょう。ウォーホルも、最初から最後まできちんと見て欲しいと思っていたわけではないんです。彼は、途中でよそ見をしていいし、何か他のことをしてもいいと語っています。好きな時に出て行って、また好きな時に戻ってきて見ていい、そういう作品として作っているんですね。
 一般に映画を見ている観客は、その物語のもつファンタジーの世界に没入します。けれども、ウォーホルの初期の映画には物語がないし、しかもほとんど何も起こらないシーンがずっと続きます。観客は普通の映画のように没入することはできません。むしろウォーホルの映画には、観客を没入から引き離す側面があります。没入から引き離されるとどうなるかというと、ウォーホルの言葉を借りれば、「観客が自分に目を向ける」ようになるわけです。つまりウォーホルの映画では、映画を見ている自分を意識せざるを得なくなるんですね。「俺はいま映画を見ているな」とか「私はいま映画館にいる」と余計なことを考えてしまいます。さらにいうと、映画を見ている自分を意識することは、同時に映画そのものを意識することでもあります。『エンパイア』は、エンパイアが映っていることがわかってしまえば、あとは見ても見なくても同じような作品です。映画を見ている観客は、エンパイアに対する関心を持続することができません。そうすると映画を見ている側としては、それ以外のところに関心を向けざるをえなくなります。たとえば、いま上映されているフィルム自体を意識することになります。実際に『エンパイア』を見ていると、フィルムに付いている傷やほこり、現像のムラなどがとても気になってきます。なぜならこの映画は、そうしたところにしか変化がないからです。『エンパイア』は、観客が自分を反省すると同時に映画であることを反省する、そうした作品になっているといえます。

現代音楽からの影響

 それにしても、8時間という上映時間は常識を外れています。しかしこの時間の感覚は、60年代という時代の中で必ずしも特別なものではありませんでした。ウォーホルの映画は他の映画とあまり似ていませんが、同時代の芸術で似ているものを探すとすれば、当時の現代音楽、実験的な音楽をあげることができます。ウォーホルの映画は、実験音楽から影響を受けた節があります。
 実験音楽を代表するジョン・ケージは、1963年にエリック・サティの『ヴェクサシオン』という曲を初演しました。『ヴェクサシオン』は楽譜1枚ほどの短い曲ですが、「840回繰り返すこと」という指示が書いてあります。ケージが行ったのは指示通りに840回演奏することで、20時間ぐらいかかったそうです。この初演が行われた1963年は、ウォーホルが映画を作り始めた年と同じです。それだけではなく、ウォーホルはケージが行った『ヴェクサシオン』の初演を聴きに行っています。いつから聴いていたのかわかりませんが、最後まで座席にいたという証言が残っています。
 ウォーホルは、同時代のさまざまな芸術を実によく見ている人でした。美術の展覧会だけではなく、アンダーグラウンドの上映会にも通っているし、現代音楽のコンサートやハプニングの公演、詩の朗読などにも出かけています。ウォーホルは同時代に行われているさまざまな芸術から貪欲に吸収しようとしていました。
 実験音楽に関していうと、ミニマル・ミュージックもウォーホルの映画と似たところがあります。60年代初頭はミニマルの時代で、現代美術にミニマル・アートがあったように、音楽の世界にもミニマル・ミュージックがありました。ミニマル・ミュージックの開祖は、ラ・モンテ・ヤングです。ヤングの曲は、音楽というより音響に近いものです。ほとんど一音に近い単純な音がずっと鳴りっぱなしになっていて、しかもそれが3時間も4時間も続きます。その音はずっと同じものが続いているように聴こえますが、ほとんど分からないくらいにゆっくりと変化するものでした。当時のウォーホルは、ヤングのコンサートにも足を運んでいます。
 ラ・モンテ・ヤングはケージの影響を強く受けていますが、ヤングのミニマル・ミュージックの時間感覚は、『ヴェクサシオン』に通じるところがあります。ほとんど変わらないものを長時間続ける点が共通しています。またこの時間の感覚は、ウォーホルの映画にも共有されていたといえるでしょう。ウォーホルは、どこかの美術館の企画展に参加したとき、自分の映画の断片を小さなビューワーで見てもらうスペースを作ったことがあります。ウォーホルの初期の映画はサイレントですが、このときには珍しく音を付けました。既成の音楽を使ったんですが、誰の曲だったかというと、ラ・モンテ・ヤングでした。ウォーホル自身も、自分の映画とヤングの音楽に共通性があることを自覚していたといえます。
 ウォーホルと実験音楽の取り合わせは意外に思えるかもしれません。むしろウォーホルはロック音楽と関わりが深く、のちにヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコのデビューアルバムをプロデュースしています。このバンドの中心はルー・リードジョン・ケイルです。ルー・リードは根っからのロック・ミュージシャンですが、ジョン・ケイルはクラシック音楽をアカデミックに勉強した人です。現代音楽とも関わりがあって、ラ・モンテ・ヤングのアンサンブルのメンバーでもありました。ウォーホルにとってもミニマル・ミュージックは決して遠い存在ではなかったといえます。

アンダーグラウンド映画からの影響

 しかし、ウォーホルがもっとも影響を受けているのはアンダーグラウンド映画です。アンダーグラウンド映画とは、戦後のアメリカに台頭した実験映画のことで、ウォーホルの映画もアンダーグラウンド映画であったわけです。アンダーグラウンド映画には多くの作家がいて、先ほど名前の出たジョナス・メカスやスタン・ブラッケージ、他にはケネス・アンガーなどがよく知られています。しかし、ウォーホルがとくに心酔していたのはジャック・スミスです。ジャック・スミスは、日本ではあまり知られていませんが、アンダーグラウンド映画の世界では有名な人でした。1963年にウォーホルは、『アンディ・ウォーホルがジャック・スミスの[ノーマル・ラブ]を撮影する』という作品を作ります。これはタイトル通り、ジャック・スミスが『ノーマル・ラブ』という作品を制作しているところをウォーホルが記録した映画です。こうした作品を作るぐらいウォーホルはスミスの作品が好きだったんですね。ジャック・スミスの代表作は『燃え上がる生物』です。これは、裸の男女が出てきて戯れているという感じの作品です。この作品はわいせつ罪で警察に押収されてしまい、一緒に上映していた『アンディ・ウォーホルがジャック・スミスの[ノーマル・ラブ]を撮影する』も押収されて戻ってきませんでした。『燃え上がる生物』はわいせつ罪に問われましたが、ポルノ的な作品ではありません。確かに裸の男女が出てくるけれど、無邪気にじゃれ合ってる感じでいやらしい印象をあまり受けません。ジャック・スミスのエロティシズムに対する関心のあり方は、ウォーホルの映画にも共通するところがあると思います。しかしそれは、初期のミニマリズムの映画というより、それ以降の作品に表れてくるものです。ただし、ミニマリズムの時期にもエロティックな要素をもつ作品があって、それが『ブロウ・ジョブ』です。

<『ブロウ・ジョブ』部分上映>

 『ブロウ・ジョブ』は、男の顔がずっと映っているだけの作品です。画面には顔しか出てきませんが、映っていない下の方ではフェラチオが行われていて、男がエクスタシーに達するところでこの作品は終わります。『ブロウ・ジョブ』は、ウォーホルのエロティックなものに対する関心とミニマリズムのスタイルが両立している点で興味深い作品といえます。

第二期:(セミ)ドキュメンタリーの時代

 次に第二期の“(セミ)ドキュメンタリーの時代”に移行します。この時期にはミニマルの作風をやめて、人物を記録することに重点を置くようになります。この変化の要因として、1964年から同時録音のカメラを使い始めたことがあります。音楽やセリフを使えるようになったため、現実をストレートに撮影するようになるわけです。この時期の変化を示している作品として、『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ』を見てもらいます。

<『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ』部分上映>

 これはリハーサルを撮影した作品です。カメラが激しく動いているのがわかります。ミニマリズムの映画ではカメラが固定されていましたが、この作品では逆にやたらとカメラが動き回ります。それだけでなく、ズームをしたりピントを動かしたりもしています。このカメラの動きが奇妙な印象を受けるのは、その動きに意味がないからです。一般に映画の中でカメラが動くとき、そこには必ず意味があります。たとえば人の姿を追っていくとか、目的があるわけです。しかしこの作品では、カメラが何の目的もなく気紛れに動いています。この作品にはちょっとしたオチがあって、大音響で演奏していたら警察に通報されてしまい、警官がやってきてリハーサルができなくなってしまいます。
 ドキュメンタリー的な作品に関していうと、ウォーホルはありのままの日常、人物の生の感情を捉えようとしました。ウォーホルが『チェルシー・ガールズ』について語っている文章があるので読んでみます。
「ぼくは一定の場面や時間を抜き出して、それらをつなぎあわせるという発想をどうしても好きになれなかった。そうするとほんとうにおこったこととは違ってしまうからだった……それでは本当の世界は出てこず、なんとも古くさく見えてしまうのだった。ぼくが好きなのはまるごとの時間、あらゆるリアルな瞬間の、そのいわば厚切りにしたようなものだった。(…)ぼくはすごい人間を見つけるだけで、あとは彼らをごくふつうにふるまわせ、いつもしゃべっているようなことをしゃべらせ、ぼくが一定の時間カメラをまわせば、もうそれで映画になるのだった」(『ポッピズム』)。  この中でウォーホルは、「ぼくが好きなのはまるごとの時間」だと言っています。ウォーホルのドキュメンタリーの基本的な姿勢は、人物の日常をありのままに記録しようとしたことです。同時期に作った作品に『プア・リトル・リッチ・ガール』があります。イーディという女性を撮っているのですが、イーディの部屋で、イーディがお化粧したり、自分の生い立ちの話をしたり、こんな服を持っているんだと自慢をする、そういうところを撮影しています。つまり、普段のイーディの姿をそのまま記録しようとしたわけです。
 第二期を代表している作品が『チェルシー・ガールズ』です。これは全米を巡回していて、ウォーホルの映画の中で最も興行的にヒットしました。この作品は3時間半ありますが、大きな特徴はスクリーンが二つ並んでいることです。なぜ二面スクリーンにしたかというと、『チェルシー・ガールズ』を作っていたら7時間になってしまった。7時間では公開できないということになって、半分に切って二面スクリーンにしたわけです。最初から二面にするつもりではなかったのですが、結果的にこの試みは成功しているでしょう。
 この作品は、チェルシー・ホテルのそれぞれの部屋で起こっている出来事、全部で11のエピソードをつないでいます。シナリオがあって演技をしている箇所もありますが、基本的には即興で、それぞれの人物はカメラの前で好き勝手なことをしています。ウォーホルの言い方でいえば、「彼らをごくふつうにふるまわせ、いつもしゃべっているようなことをしゃべらせ」たことになります。今から見てもらうのは最後の方のシーンで、左側にはニコが映っています。このパートはカラーでサイレントです。右側ではオンディーヌが女性と話をしています。こちらはモノクロです。注目してほしいのは右側です。

<『チェルシー・ガールズ』部分上映>

 このシーンでは、オンディーヌが怒りだします。そして、女性を殴るんですね。これは演技ではありません。本気で怒って殴ってしまいます。確かにこのシーンには迫力があって、衝撃的な印象を与えます。不快なシーンともいえますが、ウォーホルはこうしたハプニングを期待していたところがあります。つまり、予期せぬことが起こること、演技ではなくて生の感情が出てくることを求めていたわけです。
 『チェルシー・ガールズ』はドキュメンタリーの傾向が強いですが、同時期にはシナリオのあるドラマも作っていて、それがのちの“ナラティブの時代”につながっていきます。シナリオに基づく第二期の作品というと、『ヴィニール』が知られています。この作品には原作があります。アンソニー・バージェスが書いた『時計じかけのオレンジ』です。ご存じのように、この小説はのちにスタンリー・キューブリックが映画化しますが、その前にウォーホルが映画化していたわけです。ただし、キューブリックの『時計じかけのオレンジ』とは似ても似つかない作品になっています。キューブリックの『時計じかけのオレンジ』には、主人公の青年が施設に入れられて無理やり暴力的な映画を見せられるシーンがあります。ウォーホルが『ヴィニール』で描いているのもそのシーンなのですが、ただしこちらは青年がSMチックに拷問される場面が延々と続く作品になっています。『ヴィニール』にはきちんとしたシナリオがあって、ロナルド・タヴェルが書いています。シナリオに関しては興味深い話があります。セリフが多い作品なので、タヴェルは出演者にセリフの練習をさせようとしました。そうすると、ウォーホルがその邪魔をするんです。なんだかんだと理由をつけて、役者にリハーサルをさせませんでした。結局、セリフが覚えられないから、大きな紙にセリフを書いて撮影中にそのボードを読むことになりました。当然、役者のセリフは棒読みになってしまいました。しかしウォーホルは、そうなるようにわざと仕向けたところがあります。

<『ヴィニール』部分上映>

 もう一つ興味深いのは、右側に座っている女性です。これはイーディですが、実は彼女はこの映画に出演するはずではありませんでした。シナリオにも配役として入っていません。ウォーホルが撮影のときになって、見学に来ていたイーディをいきなり出演させてしまったんです。だからイーディは、与えられたセリフがないのでなにも喋らないし、出たのはいいけどすることがありません。しかたがないから、ずっと座って何か飲んだりタバコを吸ったりしています。あまりに気紛れな演出といえそうですが、ウォーホルは一般的な演出のセオリーをできるだけ避けようとしていました。
 いま見たシーンには出てきませんが、撮影中に誰かがカメラにぶつかったらしく、カメラの位置が動いてしまった箇所があります。フレームが少しずれてしまうのですが、カメラの位置を直さずにそのまま撮影を続けました。ウォーホルは、偶然的に起こった間違いとか予期せぬ失敗をそのまま受け入れてしまうところがあります。先に触れた『プア・リトル・リッチ・ガール』の場合もそうです。一時間ぐらいの作品で、フィルムを交換しながら撮影しましたが、現像してみたら、レンズを付けるのを忘れたか何かでまるまるピントがぼけた巻ができてしまった。それも半端じゃないぼけ方をしているわけです。しかしウォーホルは、ぼけているフィルムをそのままつないでしまいました。セリフはちゃんと入っているのですが、ずっとピンボケが続いて突然きれいな状態になるという変な作品になっています。
 偶然的な要素を取り入れるのは、ポップ・アートの作品でも同じです。ウォーホルは同じイメージを何度も繰り返しますが、厳密にいえばまったく同じものはありません。どこかが違うんです。それは意図されたことであって、しかも偶然的に変化が出るような作り方をしています。例えば『マリリン×100』という絵画作品があって、マリリン・モンローの肖像が100個並んでいます。同一の写真を使っているので、同じ顔がたくさんあるわけですが、よく見るとそれぞれがみんな違う。どこが違うかというと、シルクスクリーンによる刷りムラです。最初の方に刷ったのはインクがつき過ぎて濃くなっているし、あとの方はインクがなくなってかすれていく。偶然的な要素を含んだ刷りムラによって、イメージは同じであるけれども、その中にたくさんの違いがある、そういう作品になってします。
 ウォーホルには、偶然的な間違いやちょっとした不手際を面白がるところがありました。アンディ・ウォーホルという名前にもそうしたところあります。ウォーホルの本名はアンドリュー・ウォーホラです。アンディはアンドリューの愛称だからこれはいいとして、問題はウォーホルです。一説によると、あるときウォーホルの元に手紙が来て、その手紙を出した人は“ウォーホラ”と書いたつもりだったのでしょうが、綴りのミスかタイプミスかで“ウォーホル”になっていた。それを面白がったウォーホルが名前として使うようになったといわれています。

第三期:ナラティブの時代

 次の“ナラティブの時代”の作品は、基本的に『ヴィニール』の延長にあって、即興的に演技をさせるドラマになっています。ただし第三期では、より劇映画を意識するようになった点に特徴があります。作品の長さも100分ぐらいに統一されています。100分というのは、商業映画館で上映できる長さということで、一般公開することを念頭に置いています。この時期に作られたのは、『アイ、ア、マン』『バイク・ボーイ』『ヌード・レストラン』などの作品です。
 今から『ロンサム・カウボーイ』の一部を見てもらいます。この作品は、“カウボーイ”だから西部劇を意識しています。しかし、あまり西部劇らしくありません。だらだらと長回しが続くし、俳優の演技は上手ではないし、なかにはドラッグで本当にラリッている人がいたりします。下手くそな劇映画ともいえてしまうわけですが、ウォーホルの非演出的な感じはよく出ていて、独自の映画になっています。ちなみに、『ロンサム・カウボーイ』には女性も出てきますが、基本的にはゲイの映画です。この作品にも、ウォーホルのエロティシズムに対する関心が表れています。

<『ロンサム・カウボーイ』部分上映>

 ずっと長回しが続きますが、奇妙なのはいきなりジャンプ・ショットが出てくることです。ジャンプ・ショットとは、一つのショットの中で時間がいきなり飛ぶことをいいます。ジャン=リュック・ゴダールが初期の頃、たとえば『勝手にしやがれ』でジャンプ・ショットを使いましたが、ウォーホルの場合はよりあからさまに不自然なかたちでジャンプ・ショットを使っています。通常の映画ならば失敗といわれそうな編集ですが、これはこれで映画であることを意識させるシーンになっていると思います。

ウォーホルの映画に対する美学と美術作品との関係

 ウォーホルは、俳優の演技に対して次のように語っています。「僕はアマチュアか、本当に下手な演技者しかおもしろくない。(…)ぼくは本当にうまい演技やプロの演技がわからない。プロの演技者はどのショーでも全く同じことを全く同じタイミングでやる。どこでお客が笑うか、どのへんで乗ってくるか知っている。ぼくは毎回、違うことが出てくるのが好きなんだ。だから素人演技が好きだし、下手くそが好き。次がどうなるかわからないから」(『アンディ・ウォーホルの哲学』)。
 この中でウォーホルは、「本当に下手な演技者しかおもしろくない」と言っています。ウォーホルは、上手な演技を求めていないし、むしろ俳優が上手な演技をできないように仕向けているところがあります。また、プロの演技者が「全く同じことを全く同じタイミング」でやるのに対し、素人の演技は「次がどうなるのかわからない」、「毎回、違うことが出てくる」から好きだといっています。これもなかなか興味深い発言です。すでに述べたようにウォーホルのポップ・アートは、同じイメージを何度も繰り返しますが、まったく同じものはないわけです。どこか微妙に違いがあります。それは、ウォーホルが素人演技について語った「毎回、違うことが出てくるのが好きなんだ」という発言と重なるところがあるのではないでしょうか。ウォーホルのポップ・アートと映画には根底でつながるものがあると思います。
 第一期から第三期までの作品をざっと見てもらいました。その後、第四期の“プロデュースの時代”が続きますが、これはポール・モリセイに任せて自分では作らなくなる時代です。この時代に興味深い作品もないわけではないですが、モリセイが作った『フレッシュ』や『トラッシュ』、あるいは『ヒート』といった作品は、ウォーホル風に作った映画にしかすぎないといえるし、その後の『処女の生き血』や『悪魔のはらわた』は凡庸なB級ホラーになっています。ウォーホルはこれらの映画の制作にまったくタッチしていないので、あまり重要ではないと思います。
 ウォーホルの映画で興味深いのは第三期までです。ウォーホルは、いい加減といえばかなりいい加減な作り方をしているけれども、上手な演技はさせないとか、こうなったら嫌だということが実にはっきりしています。つまり、明確な美意識というか美学があるんですね。だからこそ、通常の映画とは異なる作品ができあがったのだと思います。一方で、映画の本質的な部分に接触しているところがあって、映画のあり方を改めて考えさせてくれる、映画とは何かをこちら側に反省させる、そういう作品にもなっています。
 ウォーホルの映画はポップ・アートの印象とは異なるし、ポップ映画にはなっていません。けれども、ポップ・アートの作品と無関係ではなく、表れ方は違うにしても基本的な姿勢は変わらないと思います。私は、ウォーホルの映画について語ることができないウォーホル論は本物じゃないと思うんですね。60年代のもっとも精力的に活動していた時期の半分は映画を作っていたわけだし、ウォーホルの映画もウォーホルの本質を示している。ある意味では、ポップ・アートの作品以上にウォーホルらしさがストレートに表れているかもしれません。ウォーホルの映画はいろいろな意味で興味深い問題を提示していると思います。
 駆け足になってしまいましたが、私の話は以上にしたいと思います。

質疑応答

質問者 配布資料の年表を見ていましたら、最後の方に「ビデオカメラ『ポーターバック』を購入し、日常的に撮り始める」と書いてあったんですが、それは残っているんですか?

西村 大量に残っています。「ファクトリー日記」と呼ぶらしいですが、ファクトリーの日常を延々と撮影している、「まるごとの時間」が記録されたビデオです。作品として撮っているのではなくて、日記のように撮影している。だから、ビデオの作品として見る機会はないですね。

質問者 それはウォーホルが作品として発表しなかったということですか?

西村 そうですね。発表していないし、発表する気がなかったのかもしれないですね。ただ撮っていた、という感じです。変に思うかもしれないけれど、もともとウォーホルはひたすら記録する人でした。テープレコーダーを買ったときもそうで、目的もなく録音するんです、電話の会話とか。だから、ビデオカメラを買って目的もなく撮影しているのはウォーホルの行動として不自然ではないですね。またそのような撮り方をしているのでビデオ自体はたくさん残っているわけです。

スタッフ ありがとうございました。それではこの後、16 mmで『イート』を上映します。

西村 『イート』のことをあまり話していなかったので少し補足します。これは、ロバート・インディアナというポップ・アートの画家が出演しています。インディアナは、ウォーホルから食事をするところを撮影すると聞いていたので、わざわざ食事を抜いて待っていたんです。そうしたら、ウォーホルからマッシュルームを一個渡されて、これを一時間かけて食べてくれと言われたそうです。

<『イート』16 mmフィルム上映>


(2012年7月18日収録。掲載に当たって内容の一部を割愛・編集しております。名称・役職名等は当時のものです。)