武蔵野美術大学 美術館・図書館 イメージライブラリー

IMAGE LIBRARY NEWS イメージライブラリー・ニュース第10号

魔術としてのアニメーション

文=狩野志歩(イメージライブラリー・スタッフ)

アリスは思いました
私は今から映画を見るのよ・・・
そうだわ 忘れたら大変!
目を
閉じなきゃ
さもないと
何も見えないのよ

*日本語字幕:戸田奈津子 「アリス」字幕より。(DVD発売元:コロムビアミュージックエンタテインメント)

 ヤン・シュヴァンクマイエルの映画『アリス』(1988)は、主人公アリスのこんなセリフで始まる。原作はルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』であるが、このチェコの作家は、原作に忠実な物語展開をしながらも、このあまりにも有名な原作の固定されたイメージから見事に脱却し、彼独自の世界観を作り上げてしまった。ウサギは生々しい剥製、アリスは小さくなると人形になり、靴下でできたイモムシは床の穴から出たり入ったり・・・。身近にある物たちがコマ撮りのアニメーションによって奇妙な動きを与えられ、実写のリアルな世界と同居させることで、観客はまるで白昼夢を彷徨うアリスになったような感覚に陥る。アリスが「映画を見る」と言いながら、「目を閉じなければ何も見えない」というのは、視覚芸術である映画を視覚以外で「見る」ということなのだろうか?これは目で知覚する行為、あるいは知覚そのものへの懐疑を私達に投げかけてくる。
 シュヴァンクマイエルはその制作方法から、アニメーション作家として紹介されることがあるが、本人はそう呼ばれることを嫌い、自らをシュルレアリストとして位置づけている。実際、映像だけではなく、絵画や彫刻、詩など、彼の幅広い創作活動には一貫してシュルレアリストとしての態度が見られる。そこで思い出すのは、ブニュエルとダリによるシュルレアリスム映画の古典『アンダルシアの犬』(1928)である。冒頭、女性の眼球を切り裂く行為はやはり「目で見ることの否定」に他ならない。それは、夢を見るが如く「目を閉じて(=無意識に)」「見る」映画だということを示唆している。両大戦間のフランスで始まり、その後世界中を巻き込んでいったシュルレアリスムは、現実に内包される人間の無意識を超現実として表出させることを指向したアヴァンギャルド運動であった。夢や無意識、オートマティズム(自動記述)は超現実への入口だったのだ。シュヴァンクマイエルの映像作品の、知覚へのこだわりや不条理な世界を見る時、彼にとってシュルレアリスムは絶対的な位置を占めていることに気付く。しかしながら、彼の作品に現れる奇妙な人形やオブジェたち、独特な編集リズム、アイロニカルなユーモアの持つ、古さと新しさが渾然とした不思議な魅力は一体何だろう?
 1934年、チェコにおけるシュルレアリスム宣言が出された同じ年、ヤン・シュヴァンクマイエルはプラハに生まれた。10代の頃、既にチェコ・シュルレアリスムの推進者カレル・タイゲ(*1)の詩と出逢い、シュルレアリスムに興味を抱いていた彼は1950年にプラハ芸術アカデミー演劇学部人形劇科で演出と舞台美術を学んだ。チェコ人にとって人形劇は、かつて近隣諸国から受けた支配の中で、密かに母国語を守り抜く役割を果たしたという特別な意味を持つ。シュヴァンクマイエルもまた他の子供達同様、クリスマスに人形劇のセットを贈られ、それは幼年期の記憶としてその後の表現活動全てに影響を与えているという。
 学生時代を過ごした50年代は丁度スターリン主義によって、モダニズム芸術が否定されていた時期であった。違法なものの見本として見せられたピカソの絵や、それらを否定する書物は、若きシュヴァンクマイエルにとっては逆にモダニズムやアヴァンギャルド芸術を勉強する教科書となった。その後、ダリやブニュエルの絵画や映画を見る機会を得て、更にシュルレアリスムへと傾倒してゆく。
 同時に、16〜17世紀にチェコに君臨したルドルフ2世の宮廷画家アルチンボルド(*2)に対して、彼の言葉によれば「あらがいがたい魅力」に取り憑かれる。『対話の可能性』(1982)では、野菜や文房具等でできたアルチンボルド風のモチーフが出てくるし、『自然の歴史』(1967)は、ルドルフ2世に捧げられた映画である。ルドルフ2世のように珍奇物の蒐集家でもあるシュヴァンクマイエルは、撮影の際には一ヶ月以上も物たちと向き合って、それらがどのような動きを持ち得るのか考え、「愛情を込めて」主人公にするのだという。〈人形劇〉〈シュルレアリスム〉〈アルチンボルド〉は彼の創作活動のキーワードといえる。また、創作の協力者として、妻として、人生を共にするエヴァ・シュヴァンクマイエローヴァ(1940〜2005)とは学生時代に出逢っている。画家であるエヴァは、シュヴァンクマイエルの映画においてはしばしば美術を担当し、「触覚と視覚の対話」という対話形式で完成される絵画などのコラボレーション、セラミック作品を制作する際には共同の名前「コステレツ」を名乗るなど、公私共になくてはならない存在である。
 芸術アカデミー卒業後、いくつかの人形劇場で演出家として働いていたシュヴァンクマイエルが初めて映像作品を手掛けたのが『シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック』(1964)である。ここで用いられている人形、オブジェ、反復、ブラックユーモア等はその後の映像作品にも度々現れる。既にシュルレアリスティックな作品を発表してきたシュヴァンクマイエルだが、1969年にヴラスチスラフ・エフェンベルゲルとの「決定的な出逢い」(*3)によって、シュルレアリスム・グループへ参加することになる。
 ここで少しチェコ・シュルレアリスムの生い立ちについて説明したいと思う。フランスでアンドレ・ブルトンによる「シュルレアリスム宣言」が発表されたのが1924年、その年チェコではカレル・タイゲによる「ポエティズム第1宣言」が出される。ポエティズムとは、フランスのダダ、シュルレアリスムやロシア・アヴァンギャルドから影響を受けたチェコ特有のアヴァンギャルド運動で、「詩になるように世界を眺めるための方法」(*4)として、絵画や音楽、映画をも表現手段とした。やがて、次第にフランスのシュルレアリスムに近づき、1934年「チェコスロヴァキアにおけるシュルレアリスム」を発表した時点で、ポエティズムは消滅する。タイゲもシュヴァンクマイエルも、フランスとチェコのシュルレアリスムをその影響関係は認めつつも出自の違いを明確に区別し、両者は独自の道を歩んだ末合流したと語っている。タイゲの後を継ぐ形で50年代のチェコ・シュルレアリスムを牽引していったのが、エフェンベルゲルである。
 1968年に起きた「プラハの春」(*5)のソ連軍による武力行使とその後の「正常化」政策が押し進められる中、チェコのシュルレアリストたちは地下活動を強いられることになる。シュヴァンクマイエルもまた、映画制作に関して厳しい検閲を受け、『コストニツェ』(1969)は改編、『ジャバウォッキー』(1971)は上映禁止、『オトラントの城』の撮影準備中、ついに製作禁止を言い渡されてしまう。その後、小説の翻案という限られた条件で、ホラス・ウォルポールの原作『オトラントの城』(1973〜79)の撮影を許可されるが、80年代に入ってからも検閲は続き『対話の可能性』(1982)はチェコスロヴァキア共産党中央委員会で、よからぬものの見本として(皮肉にも彼が学生の頃見せられたピカソの絵のように)上映された。
 映画制作を禁じられたおよそ7年の間、かわりにシュヴァンクマイエルが熱中したのは「触覚の実験」であった。最初は単なる類推ゲームの為のオブジェであったが、「触覚のコラージュ」や「触覚の詩」「手ぶりの彫刻」等あらゆる手法を試みるようになった。彼によれば、触覚は幼年期の記憶を呼び覚ますものであり、失われつつある感受性を再び手に入れる手段である。この「触覚芸術」と名付けられた独自の手法は、再び映画制作に戻ってから意識的に現れてくる。なかでも『アッシャー家の崩壊』(1980)で初めて用いられ、『対話の可能性』でも見られる「手ぶりの彫刻」(指跡を残す手法)は触覚と視覚(アニメーション)の見事な出会いといっていいだろう。
 フランスのシュルレアリストたちにとって、新しい芸術である映画は様々な可能性を秘めていた。なによりも映画は彼等が好んだ集団による実験を可能にし、映画は現実そのものを写しながら、モンタージュ(編集)というコラージュによって時間を変容させることができるのだ。「アンダルシアの犬」のように、1920年代の彼等の映画は幻覚や夢のように不確かなイマージュの連なりで、観客に知覚の破壊を与えることができた。約半世紀後に出現したシュヴァンクマイエルの映画は彼の「触覚芸術」に根ざした、物に対するフェティッシュな欲望と質感へのこだわりに、映画を眼で触るような全く新しい感覚を覚える。また、細かく独特なリズムを持つ編集法は、カットとカットを繋ぐ意味を分断し剥ぎ取る。これはマックス・エルンストがコラージュについて言及したように、二つの現実(事物)が出会った時、その意味とアイデンティティが剥ぎ取られ、超現実という異なる時空へと置き換えられる感覚にも通じる。
 かつてアンドレ・ブルトンはプラハを訪れた際、この美しい都市を「古いヨーロッパの魔術の首都」と呼んだ。また彼の著書『魔術的芸術』で、古代の土着芸術や中世の錬金術の再評価と共に投げかけたアルチンボルドへの熱い眼差しを見るとき、同じヨーロッパにありながら異なる歴史と文化を辿ったチェコという地は特別な場所として意味を持つ。ブルトンらが早くに手を引いてしまった映画(*6)を今、アクチュアルな手段として用いるシュヴァンクマイエルは、「自己表現としてのアニメーションは魔術である」と述べている。まるで、現代に中世という時間軸を孕むプラハのように、伝統芸能である人形劇やアルチンボルドのマニエリスム、20世紀芸術に大きな転換期をもたらしたシュルレアリスム、20世紀の発明である映画、それらを魔法のようにしなやかに纏め上げ、現代に息づかせているのがシュヴァンクマイエルの映画の魅力なのであろう。

*1 カレル・タイゲ(1900-51)…チェコのアヴァンギャルド運動のほとんどに関わったとされる理論家、詩人、造形作家。ポエティズムの前身である芸術家グループ「デヴェトシル」のメンバーであり、ポエティズム、チェコ・シュルレアリスムの推進者。
*2 アルチンボルド…「プラハ・マニエリスム」参照のこと。
*3 「決定的な出逢い」…シュヴァンクマイエルは生涯に3人の人物と「決定的な出逢い」をしているという。詳しくは「シュヴァンクマイエルへのアプローチ」参照のこと。
*4 千野栄一「20年代におけるチェコのアヴァンギャルド」(思想 第11号)P94。
*5 「プラハの春」…スターリン主義への批判から生まれた大規模な民主化運動。しかしわずか半年でソ連軍を中心としたワルシャワ条約機構軍の侵攻で制圧される。
*6 のちにブルトンは映画が彼の意に反する道を辿ってしまったとして否定する。シュルレアリストの中ではルイス・ブニュエルが映画を作り続けた。

ヤン・シュヴァンクマイエルへのアプローチ

文=下川久美香(イメージライブラリー・スタッフ)

この特集では、シュヴァンクマイエルへのインタビューに対する回答を軸にしながら、いくつかのキーワードを手がかりにシュヴァンクマイエルの世界にアクセスします。(Y=ヤン・シュヴァンクマイエル インタビューより)

シュヴァンクマイエルが好んでその原作を用いたエドガー・アラン・ポー、ルイス・キャロルについて
Y:1970年代に私が映画のなかで解釈した作品の著者は、私の心のすぐそばにいる作家たちばかりで、私個人の神話の支えとなっています。こういった著者たちとの関係は、「彼らと出逢って」から私が経てきた個人的な体験の記憶にもとづいています。(『シュヴァンクマイエルの世界』著者:ヤン・シュヴァンクマイエル/編集・翻訳:赤塚若樹/発行:国書刊行会/p78〜p80)

 シュヴァンクマイエル作品の多くは、監督、脚本、原案、美術の役割を彼自身で担当し、その特異な世界の表現が彼の独壇場であることをみせつけられる。しかし、いくつかの作品には原案の名の下にエドガー・アラン・ポーやルイス・キャロル、ホレス・ウォルポールらの名前がクレジットされている。特にシュヴァンクマイエルはエドガー・アラン・ポーとルイス・キャロルについて「私の心のすぐそばにいる作家たち」で「私個人の神話の支えとなっている」と語りつつ、(彼らの)「文学作品を自分のものとして扱っている」と述べている。『アッシャー家の崩壊』『陥し穴と振り子』はポーによる同名小説を、『ジャバウォッキー』『アリス』ではルイス・キャロルの小説『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』に登場する詩『ジャバウォッキー』をそれぞれモチーフにしている。文学界ではあまりに著名な作家たちであるが、彼らのどのような表現に対してシュヴァンクマイエルは心を寄せ、映像作品として再構築できたのか、今一度歩を緩めて鳥瞰してみたいと思う。

 エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe 1809~49)は1830年前後より文学作品を発表しているが、本国アメリカにおける評価は低く、フランスの詩人ボードレールによって発見され、フランスの象徴派に大きな影響を及ぼした。つまりボードレールはポーの著作のうちに新しい知的世界を発見する幸運を得て抒情詩の表現に新機軸を見い出し、やがて彼のフランス詩は翻訳され、国境を越えて近代詩の礎を築いたのである。
 ポーは詩人であり小説家であり辛辣な批評家であり雑誌の編集者であった。彼の作品の特徴のひとつには人間の内的恐怖や無意識にみごとな形態を与えた怪奇小説、幻想小説があるが、特に1841年に発表された『モルグ街の殺人』について探偵小説の研究家、批評家であるハワーズ・ヘイクラフトに「シンフォニーはハイドンにはじまり、推理小説はポーにはじまった」と言わしめた。そして100年以上の年月を経た今日でも推理小説にのみならず怪奇小説、幻想小説の手法はポーのスタイルを無視することはできない。
 シュヴァンクマイエルが共感したポーの作品『陥し穴と振り子』はシュヴァンクマイエル作品のタイトルではKyvadlo,jama a nadejeつまり「振り子、陥し穴、そして希望」と訳される。(但し邦題ではポーの原作同様『陥し穴と振り子』と表示される)
 シュヴァンクマイエルの映画にしてもポーの小説にしても冒頭から強迫、切迫状況が観念的につづられていく。受け手(読者または観客)は本編の〈その男〉が〈どうなるのか?〉また〈どういう状況なのか?〉いやもっと単純に〈一体なんなんだ?!〉という問いが起こるが、そのそばからゆっくりと巡らせる間もなく、この不可解な状況へとのめり込んでいく。二人の作家はあたかも「まぁ、もうしばらく私の話を聞いてくれたまえ」とつぶやきながら、受け手へとさらなるストレス(但し不快なものではない)を与え続けるのである。
ようやく〈その男〉は異端審問のために拷問室に送り込まれたらしきことが分かりはじめる。
拷問とは・・・何か恐ろしいことが行われるのだと想像するだけで人間の内的恐怖心に爪をたてるには十分な手法ではないか。中世の異端審問における拷問には〈拷問道具を見せ恐怖をあおる〉〈専用の道具で手足の指を折る〉〈体をロープで縛り滑車などを用いて四方から引っ張る〉〈万力で締め上げ骨を折る〉〈大きな刃物で手足を切り落とす〉など・・・
二人の作家は彼ら流の不親切な描写で受け手にギリギリのストレスを与えることによって、イマジネーションの空白を受け手自身で埋めていくようにしむけるのだ。その視点は常に〈その男〉のものであり、私たちは〈その男〉に置き換えられている。
 恐らくポーのこの作品が魅力的だと感じて、この作品を単に映像化しようとするのは不可能であろう。シュヴァンクマイエルはこの作品から影響を受けるというよりはむしろ、精神的に類似したポーに出逢ったことによって自身の新しい経験を得ているのである。ポール・ヴァレリーは、前述のボードレールとポーの関係を「二つの精神の魔術的接触」と表現している。まさにシュヴァンクマイエルの映像作品『陥し穴と振り子』はポーとの「魔術的接触」のなせる業ではなかろうか。
 ここでは『陥し穴と振り子』を取り上げたこともあり、ポーの怪奇小説の側面をクローズアップしているが、ポーの論理的、思想的、哲学的側面や、自身で「本領」と考えていた詩作をも踏まえてシュヴァンクマイエル自身が述べる両者の「地下水脈でのつながり」を探ることも、興味深く楽しい課題となるであろう。
 最後に、ポーは雑誌編集者であったゆえ、その作品は雑誌掲載を意識した短編が多いことも特徴的である。『陥し穴と振り子』もわずか20ページ弱の作品である。シュヴァンクマイエルの映像作品『陥し穴と振り子』は勿論、ポーの作品も併せて読まれることをお勧めしたい。

 イギリスの童話作家であるルイス・キャロル(Lewis Carroll 1832〜1898)は、本名のCharles Lutwidge Dodgsonのつづりを並べ変えて作った筆名ルイス・キャロルのもとに作品を発表した。
 オックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジに進み、卒業後は同校の数学教師となり独身の生涯のほとんどをここで過ごしている。  1862年7月、学寮長の3人娘をピクニックに連れ出し、「黄金の午後」(ゴールデン・アフタヌーン)で次女アリスを主人公にして即興で語って聞かせた話には、彼らにしかわからない隠語で登場する動物たち、なぞなぞや言葉遊びが散りばめられていた。たいそうその話が気に入ったアリスは翌日「書き下ろして欲しい」とキャロルに頼む。2年後、キャロルは文字、挿絵、表紙をつけた『地下の国のアリス』(Alice’s Adventures Under Ground)をアリスへのクリスマス・プレゼントとし、これは翌1965年に『不思議の国のアリス』として出版された。
 言葉遊びや論理ゲームにいたるまでキャロルの想像力は常に触媒として少女を必要としていた。また子供と話すときだけどもらなかったと言われている彼のノンセンスは、シュヴァンクマイエルだけではなく、多くのシュルレアリストや言語哲学者たちをも魅了している。
 シュヴァンクマイエルの映像作品『アリス』や『地下室の怪』でみられるように、子供が地下を現実から隔離された別の世界として幻想を抱く行為は、「幼年時代は創作にとって無限の源」と語るシュヴァンクマイエルの幼児期の夢の追体験として饒舌な映像表現で語られている。

決定的な出会い
ヴラチスラフ・エフェンベルゲル(1923〜1986)・・・・・チェコ・シュルレアリスムとの出会い
 エフェンベルゲルは1950年代のはじめからカレル・タイゲの後を継いでチェコ・シュルレアリスムを導いてきた理論家である。シュヴァンクマイエルとエヴァは1969年にエフェンベルゲルと出会い、翌70年にシュルレアリスム・グループに参加している。シュヴァンクマイエルはこのグループに参加したことで「私の人生の段階が終わり、別の段階になった」「私は自分がシュルレアリストだと思っていたが、エフェンベルゲルとグループの活動に出逢ってはじめて、シュルレアリスムについて自分が実際に抱いていた考えがどれほど表面的なものであるか理解した。エフェンベルゲルは言葉の真の意味での導師である。」(『シュヴァンクマイエルの世界』著者:ヤン・シュヴァンクマイエル/編集・翻訳:赤塚若樹/発行:国書刊行会/p65〜P66)と語っている。

エミル・ラドク(1918〜1994)・・・・・映像制作との出会い
 映画監督エミル・ラドクは舞台芸術、演出家である兄のアルフレート・ラドク、舞台美術家のヨゼフ・スヴォボダと共に、1958年のブリュッセル万博の際にラテルナ・マギカという実験的な表現を行った。ラテルナ・マギカ(laterna magica)とは元来、幻燈の意であるが、彼らは舞台上で俳優が演技をし、映画の上映、ダンス、歌とともに工夫した照明を用いた視覚芸術表現として、1960年からプラハでの上演を行った。当時ラテルナ・マギカ(劇場)にはエミル・ラドクが在籍し、セマフォル劇場から移ったシュヴァンクマイエルは『ヨハネス・ドクトル・ファウスト』制作以来、ラドクと再会した。シュヴァンクマイエルはラテルナ・マギカで演出家としての仕事よりは、ラドクを通して映画制作への接触に心惹かれたようである。

エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァー(1940〜2005)・・・・・公私に渡る関係-共同制作者との出会い
 シュヴァンクマイエルとエヴァはプラハ芸術アカデミー(人形劇学部)で出会い、1960年に結婚している。映像における2人の共同制作でエヴァは『庭園』では衣装デザインを『陥し穴と振り子』と『アリス』では美術の共同制作者として、『ファウスト』と『悦楽共犯者』では美術を担当している。

映画について
Y:映画には演劇をはるかにしのぐ点がひとつあります。映画は観客を待つことができるのです。演劇にはできません。これを確信するようになったのは、仮面劇に携わったときです。人びとは理解できず、上演中に席を立ちました。ところが、私の映画は20年間観客を待ちました。(『シュヴァンクマイエルの世界』著者:ヤン・シュヴァンクマイエル/編集・翻訳:赤塚若樹/発行:国書刊行会/p63)

 シュヴァンクマイエルはプラハ工芸高等学校並びプラハ芸術アカデミー(DAUM)で演出や舞台装置、人形劇を学び、そのキャリアを演劇からスタートさせている。DAUMでの卒業制作では仮面をつけた俳優と人形を組み合わせるという演出であったが、その手法は後の映像作品『ドン・ファン』や『ファウスト』にも見受けられる。
 シュヴァンクマイエルは1958年にリベレツの国立人形劇劇場で映画監督エミル・ラドクと出会い、彼の短編映画『ヨハネス・ドクトル・ファウスト』の撮影に人形つかいとして参加し、兵役後にセマフォル劇場を経てラテルナ・マギカでラドクと再会する。その2年後にシュヴァンクマイエルは初の映画作品『シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック』を制作した。この作品で撮影と音楽を担当したスヴァトプルク・マリーとズデニェク・シコラはラドクの短編映画のスタッフだった人物で、ラドクだけではなく彼らはシュヴァンクマイエルの映画制作への導きとなったようである。

シュルレアリスムについて
Y:シュルレアリスムは芸術ではありません。それはある一定の精神的指向であって、1924年のシュレアリスム第一宣言とともにはじまったわけでも、第二次世界大戦(ないしはブルトンの死1966年)とともに終わったわけでもないのです。シュルレアリスムは、錬金術や精神分析と同じように、魂の深みへの旅なのです。(『シュヴァンクマイエルの世界』著者:ヤン・シュヴァンクマイエル/編集・翻訳:赤塚若樹/発行:国書刊行会/p72)

Y:シュルレアリスムの活動はふたつの主要な傾向に分けられるかもしれません。ひとつは心の自動現象(ヴィジョンと具体化の自動現象)で、もうひとつは内的モデル(夢と空想的観念の忠実な再現)です。この二番目の創作形態のほうが、私自身の「理性的自我」に近いものです。(『シュヴァンクマイエルの世界』著者:ヤン・シュヴァンクマイエル/編集・翻訳:赤塚若樹/発行:国書刊行会/p72)

ユーモアについて
Y:私の映画のすべてには(もっとも不吉なものにさえ)独自のユーモアがあると思います。問題は「喜劇的要素」ではなく、「武器としてのユーモア」、ブラック・ユーモアと客観的ユーモアです。(『シュヴァンクマイエルの世界』著者:ヤン・シュヴァンクマイエル/編集・翻訳:赤塚若樹/発行:国書刊行会/p87)

Y:チェコ人は正に、ヨーロッパの中心部に位置する小さな民族です。古くから大きな民族の権力的な関心が交錯してきた場所です。チェコ人は自らの存在の大部分が他の民族の支配下にありました。こうした場合において、国民は宗教的な気違いになるか、ブラック・ユーモアに陥るしかないのです。チェコ人の場合は、幸いにその二つ目でした。チェコ人にとって、これは防塞、そしてアイデンティティーを保つ為とも言える手段です。ですから、私の映画にユーモアが登場する事自体驚くものではありません。しかし、その中にもう一つのユーモア、アンドレ・ブルトンが「客観的ユーモア」と呼んでいるものも現れています。客観的ユーモアとは、この文明、現在の文明が全く意図的ではなく生産しているブラック・グロテスクのことです。(『夜想2マイナス0号 シュヴァンクマイエル』翻訳:ペトル・ホリー/発行:ステュディオ・パラボリカ)

 チェコの長年に渡る圧制の中、苦境にさらされてきた民衆は、その不幸を笑い飛ばすしか術がなかった。氏はそれを防塞のようなもの、と表現している。チェコには政治的、歴史的、困難の中つちかわれてきた「武器としてのユーモア」がある。

ファウストについて
 ヨハネス・ファウストの伝説は、16世紀のドイツに実在したゲオルク・ファウストに由来すると考えられ、彼の突然死によって魔術的伝説へと発展した。悪魔に魂を売り渡し、かわりに享楽や才能を手に入れるという主題の「ファウスト」伝説は、古くから文学や演劇、絵画、音楽の世界で多くの作家を魅了している。古くはイギリスのC・マーロ、18世紀にはゲーテ、絵画ではドラクロワが、また前述のエドガー・アラン・ポーもまた、アリストテレスやプラトン哲学に示唆を与えたと豪語する悪魔に、自ら魂を売り渡そうとする男『ボンボン』の短編小説を著している。
 シュヴァンクマイエル自身では、作家としての彼のキャリアを通して何度もファウスト的主題に取り組んでいる。エミル・ラドクによる短編映画作品『ヨハネス・ファウスト』に人形つかいとして参加し、セマフォル劇場では『ヨハネス・ファウスト博士』の仮面劇の上映、1994年には彼自身の解釈による長編映画作品『ファウスト』を制作している。

 あらすじ:街で配られている一枚の謎の地図を手にして男が古びた建物にやってくる。そこで男はファウストの台本と衣装を見つけ芝居とも現実とも区別のつかぬ設定の中で、メフィストフェレスを呼び出す儀式を行う。やがてメフィストフェレスが現れ、善と悪の葛藤の中で、とうとう男は「魂とひきかえにあらゆる望みを叶える」という「契約」を交わしてしまう。

触覚と触覚芸術

文=田中友紀子(イメージライブラリー・スタッフ)

 ジャムのビンに指を入れる。刃が手のひらを貫通する。時計についたおがくずを舐める。汚れて湿ったシーツ。腐っていく野菜。形作られては崩れていく粘土の質感・・・。シュヴァンクマイエルが作り出す映像作品には、見る者の皮膚感覚を逆なでするような描写が繰り返し盛り込まれている。「触覚」はシュヴァンクマイエルの執拗な興味の対象であり、表現手段である。
 「触覚の実験」は、1974年にシュヴァンクマイエルがシュルレアリスム・グループの友人たちのために準備した「修復家」という解釈のゲームの過程において生まれた。この集団ゲームは、作業中の修復家の新聞写真を解釈したオブジェを制作し、それを布で覆った状態でメンバーに触れさせ、このゲームのために用意した質問に対してメンバー各自に返答を求めるという実験だった。この結果は、彼を触覚に関する創造に継続的に従事させるほど刺激的で霊感的なものであった。彼は映画制作が禁じられていた7年間、この「触覚の実験」に没頭した。そして造形美術に様々な技法が存在するように、「触覚のオブジェ」「手ぶりの彫刻」「触覚の詩」「触覚のドローイング」「触覚のコラージュ」といった、触覚で知覚する多様な技法の「触覚芸術」を生み出した。
 シュヴァンクマイエルは「触覚」のもつ可能性についてこう語っている。『私たちの感覚のどれかが芸術の問題領域に結びつく時には、いつでもある特定の感覚、ないしはその本質的能力が実利的機能から解放されて、そこに好ましい状況がもたらされているにちがいない。(略)おそらく、触覚という感覚はすべての感覚のなかでもっとも長い間実利的機能にとらわれており、実際的な理由だけではみずからを「美化する」ことができなかったからこそ、世界とのある原初的な「原始的な」結び付きにとどめていたのだ。(略)まだ美的規範によって気力をそがれていないこの「原始的状態」と触覚的知覚の体験における本能的状態によって、私たちは連想を行うさいに、いつも無意識の最深部へ差し向けられることだろう。触覚はまさにすべての感覚のなかでもっとも現代芸術の機能に適した感覚となれるだろう。』(『シュヴァンクマイエルの世界』著者:ヤン・シュヴァンクマイエル/発行:株式会社国書刊行会/p182-183)触覚のみで知覚する世界は、我々の内的視覚によって眼前に空想上の形をとる。それは視覚からの情報に影響されない形態であり、我々の無意識からやってきたイメージである。シュヴァンクマイエルは、この過程を体験することで、連想・類推(*1)につながる解放を促し、現代の消費文化によって鈍らされた我々の感受性を立ち直らせることができると考えたのである。
 やがて映画制作を再開したシュヴァンクマイエルは、『アッシャー家の崩壊』(1980)のなかで触覚の経験をどうやって活用すべきかという問題に取り組んだ。このうえなく視聴覚的な「映画」という表現方法において触覚の経験を活用するのは一見矛盾しているようにも見える。しかし、シュヴァンクマイエルはたとえどんなに小さくても触覚的刺激や触覚的想像力の挑発があれば、幼年時代の隅々にまで達している「触覚の記憶」から類推というかたちでそれが外に現れ、それによって意思伝達が可能であるという結論に達した。我々は映画のなかで行なわれる触覚的な表現から知覚的連想を呼び起こすのである。

*1 類推…自然民族や幼い子供は類推によって自分の知識の地平を広げる。つまり、あらゆる事物や対象を、ある種の要素が似通っているためにひとつのカテゴリーのなかに加えていくのである。これらの知識は無意識の中に押し込められ、その後もそこから影響を及ぼし続け象徴や詩的イメージに変わる。たとえば雷鳴-太鼓-大砲といった非合理的な連想。

『触覚のオブジェ-修復家(解釈のゲーム)』
新聞に掲載された作業中の修復家の写真を解釈して制作したオブジェに、アームサック状の布を被せる。ゲームの参加者は、アームサックから手を入れてオブジェに触り、触覚の印象についての質問に答える。また、用意された10枚の写真の中から、このオブジェのもとになった正しい一枚を当てる。オブジェは一度に全てを隅々まで触ることができないので、一つ一つの部分を順番に確認していくことになる。このように分断された触覚によっても、視覚的連想は次々と現れ、一連の出来事を「みる」ことができる。

『触覚の詩』
シュヴァンクマイエルの触覚の想像力は造形美術の領域に限定されておらず、文学的表現にも現れている。「触覚の詩」は、触覚の実験の手順を描いているような内容の詩である。また、彼は実際に触覚の詩に書かれた内容を自ら試みている。

『アッシャー家の崩壊』(1980)
この小説の一部で、登場人物の精神状態の変容を表現している詩「魔の宮殿」を解釈するために、シュヴァンクマイエルは「手ぶりの彫刻」を応用した、粘土を指で押し付けて少しずつ変形させ、それをコマ撮りしたアニメーションを取り入れた。「手ぶりの彫刻」は、へらや絵筆などの道具を使用せずに手の押し跡だけで形造られた彫刻で、創作者の感情の純粋な表出である。というのも、手は類推の構造を結びつけず、直接の感情を注ぎ込むことによってこの彫刻を創出するからである。知覚者はそれを触ることによって作者の感情に直に接触し、美学的なルールに従属しない<内的視覚>によって眼前に視覚的連想を呼び起こすこととなる。「手ぶりの彫刻」は触覚芸術の最も純粋な形式である。
シュヴァンクマイエルは、『対話の可能性』、特に「情熱的な対話」においても、「手ぶりの彫刻」を応用している。

プラハ・マニエリスム

文=木村美佐子(イメージライブラリー・スタッフ)

 花と果実で合成された、ユニークでグロテスクな頭部の肖像画——。映画『自然の歴史』(1967)の冒頭には、シュヴァンクマイエルの創作活動に大きなインスピレーションを与え続ける二人の人物が、実に端的に現われている。一人はこの肖像画のモデル、16世紀に偉大なる芸術庇護者として名を馳せた神聖ローマ皇帝ルドルフ二世。もう一人は、肖像画の作者である宮廷画家ジュゼッペ・アルチンボルドである。プラハ・マニエリスムを支えたこの二人の人物の影響は、シュヴァンクマイエルの作品の中に、容易に、そして数多く見出すことができる。それほどまでにシュヴァンクマイエルを惹き付けるプラハ・マニエリスムとはどのようなものであろう。ルネサンスとバロックの隙間に埋もれたマニエリスムへの妄想は、アルチンボルドの描く合成された頭部の奇怪さと、有名なルドルフのコレクト・マニアぶりが横槍となって、際限なく歪んでいく。しかし、この時代の精神世界に立ち帰り、そこに張り巡らされた形而上学的宇宙論に身をゆだねると、それらは違った側面を見せてくれる。
 アルチンボルドが「ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ二世」に託した寓意を紐解いていこう。この作品は、1951年アルチンボルドが宮廷を辞職後、帰郷したミラノから皇帝へ贈った晩年の作品だ。ウェルトゥムヌスとはローマ神話の季節を司る神であるため、四季の花や果実の寄せ集めによって具現化されている。ルドルフをウェルトゥムヌスとしてとらえようとする意図とは、紛れもなく皇帝の神格化であるが、アルチンボルドが示す寓意はそればかりではない。頭部を構成する花や果実の調和は、ルドルフの統治がもたらす調和へと照応されていて、つまりは不朽の皇帝の権力を謳いあげているのだ。最大の努力を払って模写された自然の諸元素は、大宇宙(自然世界)から小宇宙(人間世界)への照応の体系によって、結合の末に、自然には存在しえない怪物的な頭部を呈することになる。こうした自然に対する写実と寓意という一見矛盾したアプローチは、ザデラーやサヴェリーなどの同時代の画家の作品にも試みられている。だが、そうした姿勢は何も絵画に限ったものではなかった。
 中央ヨーロッパにとって16世紀は物質界と精神界の均衡を勝ち得た時代であった。観察や実験といった対象への実践的な活動が優位と思われる科学の分野においても、万物照応の体系が共存していた。科学全般を宇宙の階層秩序全体と結び付けようとする当時の科学とは、究極的には対象の中に宇宙の創造者たる神の痕跡を探る作業だったといえる。その傾向はオカルティズムにも接近する。プラハの研究室で惑星運動に関する法則を導き出したケプラーは、ホロスコープの計算と解釈に没頭し、天文学と占星術とを混合し続けた。こうした帰納的研究と魔術的思考とが同時に中庸を得ていた時代の精神が、均衡を失い滅びていく背景には、鮮やかな転回を遂げたコペルニクスの地動説、ガリレオの革命、それらがもたらした近代的な自然科学の世界観の波及があげられる。
 このように当時の精神的な動向をたどると、ルドルフ二世の異常なまでの蒐集熱の結晶といえる<クンスト・ウント・ヴンダー・カマー(芸術品と珍奇な事物の陳列室)>が、皇帝の単なる倒錯的な嗜好といった点のみでは語り切れないことがわかる。この可視の百科全書たる人工的空間を埋め尽くす、数限りない雑多なものは、大宇宙の法則にならって小宇宙を形成する。その照応は、小宇宙から大宇宙への照応に還元され、この政治的暗君に、世界支配を可能にさせる。
 その影響力を認めてはいるものの、ルドルフ二世やアルチンボルドに関するシュヴァンクマイエルの発言は饒舌とは言い難い。マニエリスムへの言及は無粋ともとらわれかねないだろう。しかし、彼が創作活動において〈類推〉という言葉を語るとき、照応体系というひとつの類推のシステムが支配的であった時代の精神世界は、それほど縁遠いものではないように思われる。
  チェコのアニメーション作家イジー・バルタは現在『ゴーレム』を制作中だが、それは16世紀のプラハに実在した筆頭ラビ・レーブの悪名高い伝説をもとにしている。チェコの作家にとってルドルフの生きた時代とは、インスピレーションの源泉となる、まさに魔術的な時代といえるかもしれない。

ヤン・シュヴァンクマイエル フィルモグラフィ


1964年
シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック11分43秒/カラー

1965年
J.S.バッハ-G線上の幻想9分49秒/モノクロ
石のゲーム9分/カラー

1966年
棺の家10分/カラー
エトセトラ7分15秒/カラー

1967年
自然の歴史9分/カラー

1968年
庭園16分50秒/モノクロ
部屋13分/モノクロ

1969年
ワイズマンとのピクニック11分05秒/カラー
家での静かな一週間20分14秒/カラー+モノクロ
コストニツェ11分/モノクロ

1970年
ドン・ファン32分45秒/カラー

1971年
ジャバウォッキー13分52秒/カラー

1972年
レオナルドの日記11分44秒/カラー

1973年〜79年
オトラントの城17分57秒/カラー+モノクロ

1980年
アッシャー家の崩壊15分40秒/モノクロ

1982年
対話の可能性11分/カラー

1983年
地下室の怪14分/カラー
陥し穴と振り子14分55秒/モノクロ

1988年
アリス84分30秒/カラー
男のゲーム14分/カラー
アナザー・カインド・オブ・ラブ3分33秒/カラー
セルフポートレート(オムニバス)8分/カラー

1989年
肉片の恋1分05秒/カラー
闇・光・闇7分/カラー
フローラ24秒/カラー

1990年
スターリン主義の死9分45秒/カラー

1992年
フード17分/カラー

1994年
ファウスト97分/カラー

1996年
悦楽共犯者82分40秒/カラー

2000年
オテサーネク32分/カラー

2005年
ルナシー118分/カラー

(Web版イメージライブラリーニュースへの掲載に当たって、内容の一部を割愛・編集しております。名称・役職名等は掲載当時のものです。)



参考文献

シュヴァンクマイエル、ヤン『シュヴァンクマイエルの世界』赤塚若樹 編集・翻訳、くまがいマキ 図版構成、国書刊行会。
シュヴァンクマイエル、ヤン『シュヴァンクマイエルの博物館』くまがいマキ/ペトル・ホリー 編集・翻訳、国書刊行会。
「『ヤン・シュワンクマイエル映画祭'90』カタログ」川崎市市民ミュージアム。
『夜想34 パペット・アニメーション』ペヨトル工房。
『夜想35 チェコの魔術的芸術』ペヨトル工房。
『夜想2マイナス0号 シュヴァンクマイエル』ステュディオ・パラボリカ。
『htwi[ヒッティ]No.5 世界が恋するアートの都 プラハ』特定非営利活動法人Heal the World Institute。
『htwi[ヒッティ]No.6 ヤン・シュヴァンクマイエルとチェコアニメーションの現在』特定非営利活動法人Heal the World Institute。
キルー、アド『映画のシュルレアリスム』飯島耕一 訳、フィルムアート社。
塚原史 編『シュルレアリスムを読む』白水社。
濱田明、田淵晉也、川上勉『ダダ・シュルレアリスムを学ぶ人のために』世界思想社。
石川達夫『黄金のプラハ』平凡社。
『思想 第11号 1920年代・現代思想の源流』岩波書店。
ポオ、エドガー・アラン『ポオ全集』東京創元社。
ボードレール『悪の華』岩波文庫。
ヴァレリー、ポオル『ボオドレールの位置』(「悪の華」巻末)岩波文庫。
キャロル、ルイス『不思議の国のアリス・オリジナル』書籍情報社。
『平凡社大百科事典』平凡社。
ホッケ、G・R『迷宮としての世界』美術出版社。
エヴァンズ、R・J・W『魔術の帝国』平凡社。
カウフマン、トマス・D『綺想の帝国』工作舎。
バルト、ロラン『美術論集』みすず書房。