武蔵野美術大学 美術館・図書館 イメージライブラリー

IMAGE LIBRARY NEWS イメージライブラリー・ニュース第15号

実験映画とインターネット

文=飯村隆彦(映像作家、メディア・アーティスト)

 今回、武蔵美のイメージライブラリーが私の実験映画とビデオアートの作品をまとめて収蔵したことは、日本の(あるいは国際的に見ても)映像ライブラリーとしては、私が現在教えている東京工芸大学の厚木キャンパスの中央図書館を除けば、初めてのことであり、私としては、大変光栄に思っています。
 初期の60年代前半の実験映画の『くず』(1962年)から、ビデオアートの『私があなたを見るようにあなたは私を見る』(1990年)に至る私の30年以上にわたる作品から、選ばれています。
 この間に、私の映画も、ビデオも大きく変化していますが、一貫して云えることは商業的な仕事ではなく、アートとしての映像を追求してきたことです。初期に一時、テレビ・コマーシャルの仕事をしたことはありますが、それらは私のフィルム・ビデオグラフィの中には入っていません。コマーシャルとしても失敗作でした。
 60年代の初期に、アートとしての映像が個人として可能とは一般に考えられていませんでした。映画と云えば、劇映画で、それは会社が作るもので、アマチュア映画を除けば、記録映画でさえも、独立プロダクションなどの組織が作るものと考えられていました。それらを支配していたのは、ヒエラルキーに基づいた分業による制作と、それを支えるイデオロギーでした。この点では、商業的な会社も政治的な独立プロダクションも同じでした。
 したがって個人でも、画家や詩人と同じように、映画を作ることが可能だと考えたのは、私が当時、起ってきたアートのネオ・ダダの運動に興味をもって、自分でも発売されたばかりの8ミリカメラをもって参加したことがきっかけです。私の周りにはネオ・ダダの若いアーティストたち、篠原有司男、荒川修作から、音楽の小杉武久や刀根康尚など、多くの友人がいました。そのひとつの記録が『ダダ62』や中西夏之と共作した『視姦について』などです。映画だけの発想では「個人」が欠落していましたから、一人で演出から撮影、編集まで全てを独自に行う「個人映画」の発想も制作も不可能だったのです。
 いま私は自分の原点をふり返って、孤立無援の中で映画を始めた「無謀さ」が、よく分っています。しかし映画は、私が高校生の頃から興味をもった最初に詩、特に視覚的な現代詩と、次に、ネオ・ダダを始めとする現代アートの中から発見した、当時の新しいアートだったのです。 そこから40年を経て、いま、コンピュータを扱いながら、CD‐ROMやDVDの作品を作っています。かつて、8ミリが私にとってニュー・メディアであったと同じように、コンピュータによって実験的な作品を作っています。そしてこれらのニュー・メディアの作品を今やオールド・メディアである映画、中でも実験映画と、文字通り、現在のニュー・メディアであるインターネットを通してネットワーキングしている今日この頃です*。


* 2011年、飯村隆彦氏による補足 : 最近、ネットアートのひとつとして、「1 SEC in NY 」のシリーズをもっぱらダウンロードによる配給で、Plexusのサイト(http://www.d-plexus.com/)で始めました。その意図をサイトに書いています。
「私は映画における時間の探求から、最小限に見ることの可能な映画を例えば、『1秒間24コマ』(1975)などで、実現した。しかし、最近のハイビジョン機能を搭載したデジカメの出現は、<まばたきの間のひらめき>に映画が存在することを教えた。文字どおり時間的に極限の映画『1 SEC in NY』。これらの作品を見るひとはまばたきする瞬間を惜しまなければならない。なぜなら、その間にあなたは作品を見失うかもしれないから。(T.I)」

飯村隆彦氏の多角な活動について

文=クリストフ・シャルル(サウンド・アーティスト、武蔵野美術大学教授)

リリパット王国舞踏会

カメラ・マッサージ

フィルム・ストリップ

 すでに四十数年前から作家活動を始めている飯村隆彦は、日本の映像作家の中で最も 「不・服従」(nonconformist)な作家と言えるかもしれない。しかも、「私は一人の作家の年代記的な進化論を信じていないから、それらの作品の意図は説明出来てもそれを歴史的に意味づけ、位置づけることは、ほとんど不可能である」(飯村隆彦 『パリ=東京映画日記』、東京、書肆風の薔薇、1985 p.36)と氏自身が語り、確かに飯村隆彦の作品を、既成のカテゴリーに収めるのはたいへん困難である。また、飯村はアーティストであると同時に批評家であり、理論家である 非常に長い映像作品リストには、また非常に長い著書リスト、さらにカタログや記事も加わる。60年代の初めに数多くの映画祭が西洋各地で開かれるようになり、飯村隆彦はヨーロッパやアメリカの数々の町に招待される。その時代から国際的な評価を得ると同時に、ニューヨークやヨーロッパのアヴァンギャルド映画を日本へ紹介した主な人物の一人でもある。美術、映画に関する実に多くの考察や評論を手懸け、実験映画の傾向や彼自身の芸術活動に関する情報をふんだんに盛り込んだ、本や記事を多く書いている。他の誰よりも、自らの作品を分析する能力を持っている(那田尚史「飯村隆彦が批評者泣かせである理由」『飯村隆彦のメディアワールド』、Studio 200/セゾン美術館、1991)、とも言われる。

 飯村隆彦の制作の進展に関して言えば、確かに「線的」な進展というよりも、(単純な見方ではあるが)四つの主な「テーマ」の間を行き来しているようである。ここでまず、その四つのテーマの定義を試みたいと思う。

 飯村隆彦の映像制作は50年代の終わりから始まる。映画という手段は半分は詩であり半分は美術であり、氏にとって映画はまず「映像詩」(飯村隆彦『映像実験のために』、東京、青土社、1986 p.12)であるべき、と語っている。そのように、第一の傾向は、エロティックな、もしくは社会的な「オブジェ」の探求であるように思える。《くず》、《AI/LOVE》、《いろ》、《リリパット王国舞踏会》のような作品が生まれる時期である。

 第二は、長いアメリカ滞在によってもたらされたもので、映像に対する興味が「構造」の探求に移っているのがわかる。ニューヨークにおいて、様々な人種の人間が混ざりあう環境の中に身を置いて、外国人という概念をとらえ直し、今までどっぷり浸かっていた日本的価値観を再検討する機会を得た。そこで飯村はカメラを携えて、軽々と新しい環境の探険に出掛け、「自分自身の目とは別のもう一つの目」を作り出して、しまいには「自分の存在が、消えるように」(飯村隆彦『芸術と非芸術の間』、 東京、三一書房、1970 p.74)しないために、彼はファインダーを覗くことを一時拒否した。当時の作品では《カメラ・マッサージ》、《サマー・ハプニング》などは代表的であろう。

 第三は、映像は一種の「概念芸術」(「コンセプチュアル・アート」)として位置づけ、その基本的な材料は、言葉によって表される「非物質的」な「概念」だが、概念はやはり「媒介」や「対象」という「物体」と結びついている。概念芸術は、これらの言葉や機能の関係を形づくろうとする。その意味で1971年の《フィルム・ストリップ》は、日本初の「構造映画」となった。黒や透明のフィルムを使ったり、フィルムの上に直接数字や簡単なフィギュールを書いたり引っ掻いたりすることによって、飯村は映画によるあらゆる形態の幻想を遠ざけた。するとイメージによる幻想からの解放を求めながら、映画の原点への回帰を提案した。そこから映画(フィルム自体、映写機とスクリーン)という装置/制度/システムの構造を積極的に分析した一連のインスタレーションやパフォーマンスが生まれる。60年代半ばに登場した「ビデオ」という技術を使用し、ビデオの「リアルタイム」(カメラによって撮す映像は即時にスクリーンに現れる)という性質によって、「映像」というメディアシステムをさらに深く、鋭く分析できるようになった。アーティスト、観客、そしてメディアのインターラクティヴなインスタレーションやパフォーマンスを次第に制作した。《Observer/Observed》などのシリーズはまさにその拡張を示しているのである。

  第四は、60年代を通じて試みられた探求の結果によって、世界と環境に対する新しい視座を提案するものである。自分が制作した作品群を、「風景ビデオ」と名付けた。ビデオはここでは、時空間における、ビデオなしでは不可能な視点を体験させるために機能する。技術的なことだけでなく、その場所に自分で行くことができないからでもあるし、ビデオが提案するのと同じようには見られないからでもある。撮影された環境は、環境/人工の自然、都市の庭園となり、そのまま体験することのできない自然を再び造り出す。かつての中国で都市生活者が画家にできるだけ「新鮮な」山水画を描いてくれと頼んだのとちょうど同じである。滝の絵は、水の音が聞こえるなら成功であったと言う。この役割は、今日では「風景ビデオ」が負っている。メディアは変わることができる。風景としてのメディアは、その機能を保っている。

 上記の四つのテーマは時代によって、浸透したり、変化したりし、それらの間において、飯村隆彦が常に新しい展開や関係を見いだし続けている。今後は、最新の情報技術によって、映像/音というメディアにおける、それぞれの要素(理論とその対象、また作家、観客と、技術も含めてその環境など)の、それぞれの相互関係と相互浸透は、リアルタイム(即時)においてさらに複雑に分析可能になる。作品自体は、それ自体の意識(理論)を内蔵していること、つまり作品とその理論は一体化していること、これらの事柄がさらに明らかになるであろう。

飯村隆彦作品紹介

文=狩野志歩(イメージライブラリー・スタッフ)

 50年代初頭より活動を開始した飯村隆彦氏は、フィルムによるアヴァンギャルド映画からはじまり、70年代のコンセプチュアルなフィルムとビデオ作品、80年代の風景映画、90年代のCD-ROMやDVDなどのニュー・メディアとの出会いを経て、常に同時代の思想やテクノロジーと格闘しながら進化し続けてきた作家である。イメージライブラリーでは、氏の30年以上に渡る活動を横断する形で100以上もの作品の中から35作品を選定し収蔵している。

60年代の実験映画 1962-64年

くず

Ai (Love)

ホワイト・カリグラフィ

フィルムメーカーズ

1秒間24コマ

ジョン・ケージ・パフォームス・ジェイムス・ジョイス

間:竜安寺石庭の時/空間

モネの睡蓮の庭の方へ

あいうえおん六面相

アイ・ラブ・ユー

椅子

視姦について
1962年/16mm/12分

リリパット王国舞踏会
1964年/16mm/12分

くず
1962年/16mm(ブローアップ)/12分
東京の晴海海岸に転がる無数の廃棄物や動物の死骸にカメラを向けた作品。オブジェやジャンク・アートといった当時のアート・シーンを背景に、その後の「Ai (Love)」に続く、“モノ”に対するただならぬ関心を見ることができる。

ai(love)
1962年/16mm(ブローアップ)/15分
男女の愛の行為をクローズ・アップで捉えた時、肉体は性差をも越えて限り無く抽象に向かう。この作品を見て気に入ったオノ・ヨーコが音をつけた。「Ai (Love)」はNYで紹介され、飯村氏が渡米するきっかけともなった。


ホワイト・カリグラフィ
1967年/16mm/11分
日本最古の書物『古事記』の一文字一文字をフィルムに刻みつけた作品。


フィルムメーカーズ
1969年/16mm/28分
スタン・ブラッケージジャック・スミススタン・ヴァンダービークジョナス・メカスアンディ・ウォーホル、そして飯村隆彦。アメリカン・アンダーグラウンドを代表するフィルムメーカーたちのポートレート。


1秒間24コマ
1975-78年/16mm/12分
この作品は、フィルムにおける時間のものさし、1秒間=24コマという単位をコンセプトに、映画から一切のイリュージョンを剥ぎ取り、黒コマと白コマと数字のみで構成されている。光の明滅のなかで観客は、フィルムに刻まれた時間を知覚する。


ジョン・ケージ・パフォームス・ジェイムス・ジョイス

1985年/ビデオ/15分
ジョイスの難解小説『フィネガンズ・ウェイク』をケージがチャンスオペレーションによって解体し、カメラに向かってささやく。


ニューヨーク・デイ・アンド・ナイト
1989年/ビデオ/56分
ニューヨークの昼と夜のポートレート。


間:竜安寺石庭の時/空間
1989年/16mm/56分
メトロポリタン美術館より委嘱され、建築家・磯崎新と共同制作された作品。本来動かない石庭をズーミングと移動撮影することによって、時間と空間における「間」の概念を映像化した。


モネの睡蓮の庭の方へ
1990年/ビデオ/30分
印象派の巨匠モネが晩年を過ごした《モネの庭》。ポプラ並木から庭の花々、そして睡蓮へ...モネの描いた絵画(picture)を映画(moving picture)で辿る。


あいうえおん六面相
1994年/ビデオ/2分
日本語の母音「あ・い・う・え・お」に「ん」が加わり、発声と口の形がズレてゆく。1982年に初演されたビデオ・パフォーマンス『ア・イ・ウ・エ・オ・ン』をはじめとして、シングルチャネル、インスタレーション、インタラクティブ、と同一テーマを10年に渡って異なるメディアや表現形態で制作し続けている。


コンセプトテープ1,2.3
コンセプチュアルなビデオ作品を中心に、初期のビデオ作品からパフォーマンス作品などが収録されている。
70年代に、ビデオメディアとの出会いから生まれた〈ビデオの記号学〉という理論は、これまでの〈モンタージュ論〉や〈映画の記号学〉とは別のアプローチから映像と言語の関係を論じている。〈ビデオの記号学〉がそれらの理論と決定的に異なるのは、文字による形式ではなく、「カメラ、モニター、フレーム」「オブザーバー/オブザーブド」「オブザーバー/オブザーブド/オブザーバー」といった映像作品を通して、ビデオシステム上で論述している点にある。

コンセプトテープ 1
 カメラ、モニター、フレーム 1976年/ビデオ/4分
 オブザーバ/オブザーブド 1975年/ビデオ/5分
 オブザーバ/オブザーブド/オブザーバ 1976年/ビデオ/7分
 私自身に話すこと:現象学的作用 1978年/ビデオ/3分
 ダブル・アイデンティティーズ 1979年/ビデオ/1分
 ニューヨーク・ホットスプリング 1984年/ビデオ/3分
 トーキング・イン・ニューヨーク・アット・ピー・エス・ワン 1985年/ビデオ/9分
 ダブル・ポートレート 1973-87年/ビデオ/5分
 アイ・ラブ・ユー 1973-87年/ビデオ/5分

コンセプトテープ 2
 椅子 1970年/ビデオ/1分
 タイムトンネル 1971年/ビデオ/3分
 カメラ、モニター、フレーム 1976年/ビデオ/4分
 オブザーバ/オブザーブド 1975年/ビデオ/4分
 オブザーバ/オブザーブド/オブザーバ  1976年/ビデオ/3分
 セルフ・アイデンティティ 1978年/ビデオ/1分
 視覚的論理(と非論理) 1978年/ビデオ/3分
 私自身に話すこと:現象学的作用 1978年/ビデオ/4分
 トーキング・イン・ニューヨーク 1980年/ビデオ/3分

コンセプトテープ 3
 ア・イ・ウ・エ・オ・ン(旧版) 1982年/ビデオ/2分
 これはこれを撮影するカメラである(旧版) 1983年/ビデオ/4分
 ジョン・ケージ・パフォームス・ジェイムス・ジョイス 1985年/ビデオ/5分
 アラカワ 1986年/ビデオ/4分
 私があなたを見るようにあなたは私を見る(旧版) 1990年/ビデオ/9分


(Web版イメージライブラリーニュースへの掲載に当たって、内容の一部を割愛・編集しております。名称・役職名等は掲載当時のものです。)