武蔵野美術大学 美術館・図書館 イメージライブラリー

IMAGE LIBRARY NEWS イメージライブラリー・ニュース第20号

世界を変えるためのぼくらのメソッド

文=森達也(ドキュメンタリー作家)

 初めて観た映画は中三の春休みに地方都市の名画座で観た「いちご白書」と「イージー・ライダー」。やられた。見事にやられた。上映が終わって客席の明りがついたとき、僕は腰が抜けたようになって動けなかった。それほどに衝撃だった。
 これ以降、映画館通いが始まる。その思いが昂じて友人たちと8ミリ映画を作ったのは、高二のとき。監督は違うクラスの歯医者の息子。お金持ちだから機材一式を購入したのだ。
 やがて大学に入り、僕は映画研究会に当然のように所属する。部室もない弱小サークルだったけれど、同期にはやがて映画監督になる黒沢清がいた。一年下には万田邦敏。そのまた一年下には塩田明彦。日芸では石井聰亙*がやっぱり8ミリ映画を作っていた。助監督は緒方明阪本順治。やがて大学を卒業して、僕は黒沢清の商業映画デビューを手伝うことになる。このときの助監督は周防正行。大学を卒業したばかりの僕は、京都から映画作りのために上京してきた林海象の荻窪のアパートにしょっちゅう泊り込んでいた。
 ・・・・と、現在のビッグネームばかりを殊更のように挙げたけれど、要するにあの時代、映画が当たり前のように身近にあり、全共闘運動という熱い政治の季節に乗り遅れた僕たちの世代は、その映像にどっぷりと浸かっていたことを書きたかったのだ。  やがて僕は映画をあきらめテレビの世界に入り、そこで十年を過ごしてから初めての映画を作る。その映画を作る過程で、映像とその影響力について初めて深く考えた。
 20世紀初頭、日本とドイツとイタリアに、ファシズムは同時多発的に現れた。考えたら不思議だ。なぜならこの政治体制は、これ以前の歴史に登場していない。だから考えなくちゃ。なぜいきなりファシズムは現れたのか。
 その答えは、この時代に誕生した映像にある。つまりプロパガンダ。映像の影響力はそれほどに大きい。大勢の人が熱狂する。大勢の人が同じ思考や同じスローガンに染まることが容易になる。そして大勢の人が死ぬ。
 これまでの僕は、映像業界関係者であると同時に、一人の映像ファンだった。それ以上でも以下でもない。でも特に国内的にはオウム事件が、そして世界的には9・11があったことで、映像の持つ圧倒的な力について、ずっと考え続けている。映画が何よりも好きだったから、そして今も好きだから、絶対に目を逸らしたくないと考えている。
 ファシズム体制は瓦解した。でも映像というコミュニケーション・ツールは滅びない。それどころか戦後にはテレビジョンという化物メディアが誕生した。その影響力といえばかつての比ではない。まさしく大量破壊兵器に等しい。
 時々思う。やがて人類が滅びるとき、その原因となるのは宇宙から飛んでくる巨大隕石でもなく、凶暴な宇宙人の襲来でもなく、増えすぎた二酸化炭素によって激変した地球環境でもなく、進化しすぎたメディアではないだろうか。
 でも水や空気のように、僕らはこのメディアをもう手放せない。ならば有効に使わねば。負はひっくり返せば正になる。そのためのメソッドをずっと考えている。

*2010年より石井龍岳に改名。(注釈・イメージライブラリー)

森達也の仕事

文=下川クミカ(イメージライブラリー・スタッフ)

 1995年当時、テレビ・ディレクターとして番組制作を手がけていた森達也氏は、一クルーとしてオウム真理教の教団施設の取材に出かけた。森氏がそこで目にしたのは、メディアが伝える殺人集団、つまり凶暴で残忍なオウム信者ではなく、物静かで優しい普通の人々であった。森氏は彼らを完全悪としてしか報じないマスコミに違和感を覚え、オウムを多角的に知りたいと思うようになった。これは彼の仕事に通底する「なぜ?」の萌芽である。
 この頃、森氏は会社と制作方針が合わず契約を打ち切られる。しかし、森氏は安定した仕事を失う事も、タブーに足を踏み込む事にも躊躇しない。そこには彼が感じている違和感があり、それは彼がこれから向っていく問題への予兆でもある。こうして森氏はオウムにカメラを向ける事になった。
 1996年3月、上祐史浩逮捕後、森氏は教団の広報を担当していた荒木浩という人物を中心に据えビデオを回し始める。「オウム真理教とは何なのか?」「なぜ地下鉄サリン事件が起こったのか?」「なぜ事件後も信者であり続けられるのか?」。問題の真髄に迫ろうと試みるこれらの映像は、オウム真理教の内から外の世界を見たドキュメンタリー作品『A』となり、2001年には続編『A2』が完成した。
 これらの作品の制作を通して、森氏はテレビというメディアの問題点を社会に提起している。森氏は、ドキュメンタリーが客観的な事実だと考えられがちであるのに対して、ドキュメンタリーは撮る者の視点で切り取られた世界、また作り手のフィルターを通した情報であるとし、テレビというメディアに従属する視聴者となる事への危険性や、情報を伝える側の責任を投げかけている。その活動は、映像作品に留まらず、執筆活動、講演など幅広い分野に渡っている。
 『A』『A2』という映像作品を通して森達也という監督を見る時、対象へのアプローチ、コミュニケーション力、「なぜ?」に向っていくモチベーションに目を見張る。〈私〉というフィルターを通し何かを生み出そうとして迷い困難に道を塞がれたとき、最初に生まれた動機は最大の原動力となる。答えが見いだせずに迷いもがく事も多いのだろう。一見、矛盾するようだが、そこにある迷いやもがきこそが、制作者であり表現者としての森達也の揺るぎない軸足となっている。

<映像作品>
森達也監督は1986年にテレビ番組制作会社に入社後、小人プロレスのテレビドキュメント『ミゼットプロレス伝説~小さな巨人たち~』でデビューを果たし、以降、報道系、ドキュメンタリー系の番組を中心に数々の作品を手がけてきた。1998年にオウム真理教の荒木浩広報副部長を追ったドキュメンタリー映画『A』を制作、2001年に発表したその続編『A2』は山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞した。

1992 「ミゼットプロレス伝説~小さな巨人たち~」(テレビ作品)
1995 「ステージ・ドア」(テレビ作品)
1997 「教壇が消えた日」(テレビ作品)
1998 「職業欄はエスパー」(テレビ作品)
          「A」
1999 「1999年のよだかの星」(テレビ作品)
          「放送禁止歌~歌っているのは誰?規制しているのは誰?~」(テレビ作品)
2001 「A2」
2011 「311」 共同監督:綿井健陽、松林要樹、安岡卓治

A
1998年/135分
監督・撮影・編集:森達也、製作・撮影・編集:安岡卓治、編集助手:吉田啓、音楽:朴保

 誤解がないようにあえて書く。この作品はオウム真理教を擁護するものではない。過熱するマスコミ報道の延長にあるものでもない。ましては奇を衒ったものでは決してない。今まで平板に報じられてきたオウムの姿を別の角度から捉えた映像作品、〈マスコミが報道しなかったオウムの素顔〉である。
 地下鉄サリン事件から半年が過ぎた頃、森監督はオウムをドキュメンタリーで捉えるという構想を形にし始めていた。教団の正当性を饒舌に語った上祐史浩の逮捕後、突如としてメディアに映し出された荒木浩広報副部長を見たとき、森監督の中でこのドキュメンタリーの視点を彼に向ける事が決定付けられた。
 「テレビの中で、必死に言葉を模索しながら口ごもり、押しつけられるマイクに絶句しながら立ち尽くしていた。(中略)脆弱そうな外見の内側に、何らかの本質と、同時に激しい矛盾と葛藤とを、彼は間違いなく共存させている。僕はそう直感した。いや、直感というよりもほとんど確信に近かった。」(森達也『「A」‐マスコミが報道しなかったオウムの素顔』p.17)
 そして1996年3月、青山総本部での撮影が始まった。そこで森監督が見た彼らの姿は、地下鉄サリン事件以来、殺人集団、絶対悪としてマスコミが報じてきたものとは違っていた。そこに暮らす人々は穏やかで、荒木氏個人としては嘘も矛盾もない。むしろ誠実ささえにじみ出る。逆に『A』に登場するマスコミ関係者や警察は、嘘をつき、他人を出し抜き、無責任で無遠慮である。「これは一体何なのだ?」「私たちはオウムの何を見てきたのだろうか?」「私たちの社会はどうなっているのだ?」という思いがこみ上げる。
 『A』は過去の事件として地下鉄サリン事件を語るのではない。信仰を寄せる人々の単なる記録でもない。カメラを通してオウムの内側から外の世界を見たとき、私たちはそこに炙り出される日本という国の総体の異様さを思い知る事となる。


A2
2001年/126分
監督・撮影・編集:森達也、製作・撮影・編集:安岡卓治、編集助手:小堀陽太

 『A』のクランクアップから2年、すでに「オウムについての自分の表現は終了した」と語っていた森監督が、再び教団を訪れた。地下鉄サリン事件からすでに4年が経過していた。問題が解明されないまま人々は地下鉄サリン事件への煩悶を止めてしまった。しかし、どこにも居場所を失くし点々とする信者と、そこに暮らす地域住民はこの問いを放り出すわけにはいかない。テレビは声高に教団を激しく拒絶する地域の排斥運動を報じていた。またしても森監督のカメラはメディアが報じない彼らの姿を捉えている。それは衝突する両者の間に生まれた奇妙な共有関係であった。
信者:「和気藹々しているところは(マスコミは)撮らない」
      :「反対阻止しようと思って集まっているというより地域住民の交流の場になっている」
住民:「脱会して遊びに来たら受け入れるよ」「個人的には嫌いじゃないから」
 〈住人〉対〈オウム〉という構図が、〈個人〉対〈個人〉に変わるとき、両者は思考で割り切れない感情によって、その関係を初めて〈私〉という一人称で語り始める。そして「命がけで阻止してきた人間でなくちゃ理解できないね」、「見えない恐怖心があった。それを闇雲に突き進んだら現実が分かった」と語る住人たちの姿に、オウム真理教に対する受容の兆しともみられる心の変化を感じる。
 一方、横浜市、茨城県大子町、千葉県流山市などの施設での住民の拒絶状態は、日本中で行く当てをなくしたオウムの迷走をも物語っている。

<著作>
映像制作と同時に、森監督は多くの著作を発表している。これらの著作はテレビというコミュニケーション・ツールを負から正にひっくり返すためのメソッドを考えるためのヒントとなる。数ある著作の中から以下にメディア・リテラシー、及びオウム事件に関連する著作を列挙する。

「「A」撮影日誌:オウム施設で過ごした13カ月」 森達也 著/現代書館/2000年

「A:マスコミが報道しなかったオウムの素顔」 森達也 著/角川書店/2002年

「A2」 森達也、安岡卓治 著/現代書館/2002年

「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」 森達也 著/晶文社/2003年
 地下鉄サリン事件、9.11テロ以降、国際的な善悪の二元論化が進む。しかしオウム信者もアルカイダもタリバンも北朝鮮の工作員も個々は泣き、笑い、怒り、家族に囲まれた日々を送っているのではないか。そんな他者への想像力を失うとき憎悪の連鎖が生まれる。

「世界が完全に思考停止する前に」 森達也 著/角川書店/2004年
 イラク問題、麻原の死刑判決、タマちゃん報道…ヒューマニズムや正義に名を借りた問題に、どこまで無自覚でいるのか? 「一人称の主語」で正面から社会に向き合う事を問う。

「報道は何を学んだのか:松本サリン事件以後のメディアと世論」 河野義行、磯貝陽悟、下村健一、森達也、林直哉 著/岩波書店/2004年
 松本サリン事件では市場原理の法則にのった報道への問題が問われ、さらに受け手である視聴者のあり方が問われた。嫌疑をかけられた河野氏、番組スタッフとして事件報道を行なった磯貝氏、下村氏、松本市の高校で放送部の活動を通して事件を検証した林氏、そして森氏による座談会の記録。

「ドキュメンタリーは嘘をつく」 森達也 著/草思社/2005年
 あえて著者は「ドキュメンタリーは嘘をつく」と言い放つ。ドキュメンタリーとは客観的な記録ではなく、主観にろ過された事実の痕跡を再構築する表現行為である。その意味と危うさ、豊かさについて、さまざまなドキュメンタリー作品を例に挙げながら論じる。

「ご臨終メディア:質問しないマスコミと一人で考えない日本人」 森達也、森巣博 著/集英社/2005年
 NHK番組編集への政治の介入、日テレの視聴率操作問題、過剰なまでの自己規制。森達也、森巣博の二人が「質問しない」「見せない」「懲罰機関化」をキーワードに、新聞、テレビの機能不全を鋭く語る。

「「麻原死刑」でOKか?」 野田正彰、大谷昭宏、宮台真司、宮崎学、森達也 著/ユビキタスタジオ/2006年
 弁護団との意思疎通ができない麻原。控訴趣意書が提出できない麻原。私たちは昏迷状態の麻原に何も語らせないまま死刑にして、この不安を一件落着させることができるのか? 野田正彰らによるシンポジウムの記録。

「世界を信じるためのメソッド―ぼくらの時代のメディア・リテラシー」 森達也 著/理論社/2006年
 第1章:メディアは人だ。だから間違える。…これをキーワードに、私たちの生活に欠かせないテレビというメディアの仕組みを考えるための一冊。

「それでもドキュメンタリーは嘘をつく」 森達也 著/角川書店/2008年

「ドキュメント・森達也の「ドキュメンタリーは嘘をつく」」 森達也、替山茂樹 著/キネマ旬報社/2009年

「極私的メディア論」 森達也 著/創出版/2010年

「A3」 森達也 著/集英社インターナショナル/2010年

オウム真理教は2003年2月にその名称を「アーレフ」と改称していますが、本誌では「オウム」および「オウム真理教」と表記しています。

(Web版イメージライブラリーニュースへの掲載に当たって、内容の一部を割愛・編集しております。名称・役職名等は掲載当時のものです。)