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IMAGE LIBRARY NEWS イメージライブラリー・ニュース第22号

吉増剛造 ロング・インタビュー

聞き手・構成=下川クミカ、久保田桂子(イメージライブラリー・スタッフ)

吉増剛造(よしますごうぞう)
詩人。1939年東京生まれ。詩集に「黄金詩篇」(高見順賞)、「オシリス、石ノ神」(現代詩花椿賞)など。詩集は10カ国以上の言語に翻訳出版され、文学、芸術、映画に関する評論も多数。二重露光撮影による写真集も国内外で高い評価を受ける。現代美術や音楽とのコラボレーションなどその表現は多岐に渡り、近年ではビデオカメラによるgozoCineシリーズの制作を行っている。


—吉増さんが詩という表現の世界に入られたことについてお尋ねします。ムサビの学生と同年代の頃に、詩という表現に向かうことになる出会いや選択があったのではないかと想像しますが、いかがでしょうか?

学校という漢字よりもカタカナでガッコウと言ったらいいのかな、そうすると大学も高等学校も小学校もさ入ってくるから。ガッコウの外側にある空気、クラブ活動や仲間との付き合い、帰りに遊ぶといったような、そういうキャンパスと街と盛り場の隙間みたいなところがとても大事なものだと思います。高校生の時はあまりおおっぴらに遊べないでしょ? でも大学へ行くとガッコウのはみ出し部分、光の輪みたいなオーラが急にふーっと膨らむわけですよね。それは自由というのとも違うし、青春というのとも違う。おそらく一生学んでいく場の中で特権的なある時に遭遇した時に、映画とか文学とか詩がとても大事なはみ出し部分だった。
それは何て言ったらいいのかな、おうちの廊下が外へ自由に延びていくような、縁側や廊下のはみ出し部分みたいな、そういう経路、道のようなもの、なんかさ、横切ることなのね。幼い子供の時にも感じていたかもしれないけど、外に飛び出して行く時の走り方、足の踏み出し方、空き地や遊び場の見つけ方、三角ベースとかさ、女の子だとゴム紐跳びかな…ね、そういうものが生まれてから高校生の年くらいにかけて変ってくるじゃない、それがやっぱり最も驚くべき変り方をしたのが、皆さんもそうだと思うけど高等学校から大学あたりでしょ? 僕は三九年生まれだから六〇年安保寸前くらいの時代で、エルビス・プレスリーやポール・アンカの声が聞こえ始めて来た時だけど、そういう風俗的なものよりも、部屋の縁側とか薄縁みたいなところからこっそり外へ出て行く、飛び出しの角度とか方位とかさ、そんなものが最も大事だったんでね、そんな時に一挙に映像とか音楽とか詩にぶつかっていたんじゃないかと思いますね。

—吉増さんは創作の中で詩に始まって手稿、写真、最近のビデオ作品と様々な表現を横断されています。そうした際に働く感覚についてお尋ねします。私は普段、目で見ることで何かを感じることが多いのですが、吉増さんの作品は、散文から最近のビデオ作品にいたるまで音に耳を澄ますこと、聴覚的なことに非常に繊細であると感じます。

下川さん、久保田さんはどう? きっと、それぞれにさ自分の命がどんなアンテナでどんな風に形成されているのか、無意識の夢の中で何度も検証していると思いますが、僕は割合そこに手で触る、目で触る、耳で触るといった、感覚にもうひとつアンテナをくっつけてみて、そのアンテナの先でいろんなものに触って総合しているようなところがある気がするな。目もね、目の先にこう糸みたいなアンテナをつけて何かに触って、耳もそうで、そんな風にして総合して自分の命の方に集めてきているとこがありますね。どっちかっていうと自閉症気味の弱虫の子供で、自分の命を一所懸命守って隠そうとするような昆虫的なところがあった子だったから、いじめられっ子でね。そういう感覚と言われるものの先端部分を指で差し伸べるようにして、何かいろんなものに触っているような気がする。それが写真になったり絵画になったり映画になったり、あるいは詩になったり。そういうところがあるような気がしますけどね。

  —いろいろなジャンルを横断するというのは、先ほどの昆虫的な感覚で触れていく延長であると思うのですが、そうやって表現を横断していく中で難しいと感じられること、または自由であると感じられることはありますか? この大学では絵画、デザイン、彫刻、建築など皆それぞれですが、四年間ひとつのことに打ち込むことが多いです。これは一方では、ひとつの表現だけに固執してしまうという不自由さがあるわけです。

そうね、幼い時の教室に戻って考えてみると、小学校や中学校の頃、図画も、音楽も、物理だって好きだったし、一番好きだったのは、休み時間(笑)、きれいな先生も好きだったし。内容というよりそこに身を浸している時に、もしかしたらそっちに行ったかもしれない、好きだったっていう感触はあらゆるところに残っていますよね。そういうことを無意識でしょうけど大事にしているところがあって、絵描きにもなりたかったし、成績は悪かったけどもしかしたら数学者になれたかもしれないし、天文学者になれたかもしれないし、うーん、女の子にもなれたのかもしれない。というのは言いすぎだけど、そういう幼児が持っている原始的な感覚、あらゆるものであれるかもしれない感覚をどこかで残しているようなところがあるね。優秀な子達は自分を早めに専門化しちゃうじゃない、だけどそうじゃなくてぼうっとした状態のまま、そのぼうっとした状態を大事にして手のひらに乗せたまま歩いてきちゃったような、それが詩になってきているような気がするなあ。

—本学において「射影のクオリア」というタイトルで版画とタブローの展覧会が行われましたが、そのギャラリートークで柳澤紀子先生が「崩れたもの、不毛なもの、不完全なものに魅力を感じる」というようなことを語られていました*1。完全ではないからこそ生れる可能性と言いますか、今、お話にあった専門化されていないということと何か共通するものを感じました。

うん。僕は不揃いというのが好きだな。いびつなものとか、ほどけたもの、少しくずれたものだとか、そういう風に言ってくると、そこに変化の感覚や、運動の感覚っていうのが介在してるのが分かるじゃない。バロックよりもバラック、…(笑)。固定的なものじゃなくて、少し動いたり、隙間が見えたり、好奇心と言ってみたり、不完全と言ったりするけど、何かある不思議な兆候だとか兆し、変化ということは視覚や聴覚や触覚を越えてあるじゃない。生命と言ってもいいんでしょうがね、そういう怪物的なことがとても大事な気がします。

—いびつなもの、不揃いなもの、そうしたものは多くの場合大きな流れからはみ出して、こぼれていってしまう弱いものですね。以前、吉増さんが韓国の詩人、高銀(コ・ウン)氏と対談された中で、「耳に入りやすい言葉だけではなくて、あるいはとても説明のしにくい女の人の言葉、あるいは動物と関係するような言葉、あるいは職人さんの言葉、あるいは詩人の言葉、そういうさらにさらに小さい言葉も、いま解体に瀕しているということもあります。」 (高銀,吉増剛造『「アジア」の渚で—日韓詩人の対話』p.201)と言及されていますが、そうした、小さな声に耳を澄ますこと、不完全なものを手で掬い上げるようにして詩が生れてくることについてもう少しお話を伺いたいのですが。
そういう風にして聞いていると、とても豊かなイメージが湧いて来るのね。僕はブラジルにいて、アメリカの時もそうだったけど、ノイローゼのような状態にわざとなっていくことがあって、そうして苦しんだり病気になったりしていくと、一種の普通と違うような感覚が生じるわけですよね、そういう時に柔らかさ、微妙さが見えてくるのね。ブラジルでまだお蚕(かいこ)さんが産業として成立しているから見に行ってね、お蚕さんを自分で真似するくらい好きになっちゃってね、本当に何か生物が根源的にもっている、残酷さももちろんあるけれど、可愛らしさとかユーモアみたいなものに触れることがありました。お蚕さんにだんだん近づいていって聞いているとシクシクシクシクと桑の葉噛んで食べている音がする。お蚕さんが何千匹いて皆でわーっと桑の葉を食べてる時、小屋の外から聞いてるとシャーっとシャワーのような音がするんだって。それが外からだと素晴らしい画家が中に居てクロッキーをやっているような音がすると。そういうことをおばあさんから聞いたりもしていました。
そういう感覚が捉えているなんとも学問にもなりようもない、習慣の奥底で眠っているような豊かさに向かって耳を傾けていくってことはありますね。それは一番女性的なものにも近づいていく小道だし、もっと何か、根底的なものに近づいていく。お蚕さんと糸とあの精妙な世界と女の人は何千年付き合って生きてきているわけじゃない、そういうものが今現代社会になって劇的に変っちゃったけれども。特にそういう女の人が命と同じように過ごしてきた命の破れ目から覗いているピンクの糸みたいな、そういうものに対する敬意、尊敬する心っていうのは、どこかで必ず見つけようとしているよね。それがやっぱり女性的なものになっていくし、それは視覚的なもの聴覚的なもの触覚的なものを越えて行くようなものでしょ? ね。それを宇宙的と言ってしまうとまた科学に戻っちゃうしね、民俗学にいっても、また学問に戻っちゃうけど、そういうものの手触りみたいなものを大事にするような心っていうのはあるなあ。
僕は芭蕉さんの俳句を通じてそういうことを学んだりしていてね。晩年の芭蕉さんにね「さみだれや蠶煩(かいこわずら)ふ桑の畑」という句があってね。病蠶(やまいご)って言って、病んだお蚕さんは隣にうつっちゃうからつままれて外に放り出されるらしいのね。そうすると放り出されたところの桑の木に登ってその葉を食べて。芭蕉さんがそれを見て、なんだ、お蚕小屋にいるのも外に出るのも同じじゃないかっていう笑(え)むような眼があるわけね。なんだい、捨てられたっておんなじだって、…。
お蚕さんってのは大昔の陶淵明(とうえんめい)だって詠んでるし、中国の古代の奥さん方がムシロひいてそこで飼ってたその情景を見ている陶淵明の眼を芭蕉さんも見ているわけね。そういうトンネルをどんどんつなげていくの。もともとは女の人の眼よ。だけどその陶淵明や芭蕉さんみたいな天才的な眼になると、すーっと、なんかね、情景を開くような眼が出てくるのね。そこへ行くのに結構手間隙かかるの。勉強もしなきゃいけないし、現実にお蚕さんのそば行ってお蚕さんの顔の真似して、写真に撮るし、映画に撮るし、何度も何度も行ってその傍へ座って土の感触を味わって、こう一回一回慣れ親しんでいくわけね。殆ど狂気と近いくらいのところへ何度も何度も足を運んで行かないと、そういう感覚のテントみたいなものは張れないのね。僕はそれをずいぶん馬鹿みたいに繰り返してるのね。

—吉増さんは以前、浜名湖の入江にある柳澤紀子先生の故郷、“古人見(こびとみ)町”という町名のもつ音に触発され、「水邊(すいへん)の庭」という詩を書かれていますね。そしてそこからインスピレーションを得た柳澤先生は版画やタブローの制作をされ、さらにお二人は対談や展覧会などお互い呼応し合うかのようにご一緒に制作をしてこられたようですね。このように作家や音楽家とのコラボレーションを通して、一緒に何かを生み出すことについてお聞かせください。

おそらく誰でもがね。何かに飛び込んでいって直感的にもうひとりの自分がわかっているところを生涯かけて、何とかして自分にわからせようとするのがその試行錯誤でしょうね、それを僕もずいぶんやってきています。おとといね、古川日出男さんとジョイントの朗読会をやりました。彼は僕の詩を読む、僕は彼の作品を読むっていうことをしました。彼は元々プログレッシブ・ロックなんかやってる人だから発声法が全く違う。それはすごい朗読でね、僕の詩で「絵馬」と、「頭脳の塔」というのを読んだんだけど、傍で聞いていて僕びっくりしちゃった。作品が全然違う息遣いで生きてくるようなところがあった。多声的っていうよりも違う呼吸がいっぱい混ざっているようなそういう朗読を目の前にして、これはすごい、とっさに影響を受けて、すぐそれを自分で意識的に真似ながらやってみましたけど、しかし自分からはそれに反発するような別のね、地の声も出てくるのね。その時に一種の自分自身が剥き出しの騒乱状態になっているんですよ。
もうどうしたらいいかわからないような、破れていくような状態に自分をさらけだしていくような。これが本当だなあ、これが手触りだなあと感じる、そんな瞬間がありました。これはおそらく、コラボレーションとかいう異種格闘技みたいなジャンルのほうからいうとそれで止まっちゃうけど、そんな風にして破れていくということ、剥れていくこと傷ついていくこと、そういう風にしていくとどうやら命が、それが命だよっていう声を出してるみたい。それは自分の中でも起きていて、詩を書くけれども、それでどうしても止まっちゃって、なんかコブが出来ちゃってそれがこう凝り固まって魚の目みたいになっちゃって、それを違うものを持ってきて、違うナイフでこう切ってみると、痛くて、それが自分の中でも起こるわけでしょ? それを自分の中の他者っていうとこまでまだまだとても言えませんけれどもね。

—最近、吉増さんが文学や映画などのレクチャーをされる際にお土産のように持参される手稿についてお伺いします。「佃新報」「マジックメモ」といった名称で呼ばれているこの手稿はどういったものなのでしょうか?

これはムサビとも関係があるのね。彫刻家の若林奮さんと『武蔵野美術』*2に一緒に二ページを頂いて連載していた時が始まりです。ページの制約があったために割注ということを始めた、この小さい字ね。印刷雑誌メディアは締切の時間と、何字で何枚という縛りをつくるから、それから自由になろうとするとこういうことをやらなきゃいけなくなるのね。それをやると新聞や普通の雑誌ではやっぱり侵犯行為で非常に嫌がられるし、喧嘩にもなります。ところがこの『武蔵野美術』というのは、美術の専門で、根源的な許すようなところがあったので始まったのがこの割注です。昆虫の眼のような自在な穴みたいなものを作っていく表現行為っていうのはここから始まった。だからこの割注って、普通は副次的な、弱い、かそけき、片輪の、そうしたつっかえ棒みたいな表現ですよね。でもこれはこれで意識的な戦いですけど、どこかで僕も意地の悪いところがあって、読まれたくない、意味的に普通に読まれるんじゃない、触覚的、あるいは少しどっかで瞬間火花が、閃光が飛ぶような、動物的昆虫的そういう読み方も大事だっていう、そういう無意識の声もありますね。書く方もそうで、手術台のメスと同じで何十本も筆記用具を置いてその時々で瞬間持ち替えているんですよ。そうするとその時の時間の棘みたいなものが、思考の棘、時間の棘みたいなものが立ってくる時に、用具を替えたりして、その書く場所の、書くという行為の痕跡を捕まえようとしているのですね。

—これを頂いて読んでいる中で思いもよらない体験がありました。なかなか読みきることが出来なくて、何度も最初から読み返すことを繰り返すうちに、だんだんその言葉ひとつの意味に捕われるのではなくて、水が澄んでくるような一瞬、自分に対面するような瞬間がありました。あまり読まれたくないとおっしゃいましたよね。それで、こちらもどうにかして読んでやろう、読んでみたいというように、吉増さんが何を書かれているのか、どこへ触れて行こうとされているのか、それに近づこうとする。近づこうとすればするほど、ある時自分に入り込む瞬間を感じます。ですから、この文章を理解したとか、わかったとか、そういうことではなくて、これを通して、自分はひとりしかいないはずなんですが、向き合う瞬間が訪れたような気がして、非常に面白い体験をさせて頂きました。

それは羨ましい。下川さんの横切り方ですね。本当はジョイスやバージニア・ウルフみたいなものを書きたいけど、そんな能力はなくてさ。これなんかの場合、伝えなくてもいい、伝えたくない、もしかしたら書くこともない、だからどっちへ曲がって行ってもいい、いいんだ。とにかく向こう側から、すぐ傍から鉛筆を持たせる力によって書いていけばいいんだ。そういう状態である時間を過ごして出来上がったテキストですからね。一度僕がフロイトから盗んだ言葉だけども、マジックメモという、精神分析なんかの言葉ですけど、そういう、もう一人二人三人の自分と話す、話したいっていうかな、そういう感じで書いているテキストかもしれないですけどね。まだはっきりとこれ、どういう名付けるか確定してませんね。cineの方は、gozoCineで決まりましたけどね。
古文書の見せ消(ケ)チってあるでしょ? 僕あれが好きでね。ごちょごちょっとわかるように消して添えていくというね。あと僕はルビっていうのが好きで、あるいは傍点とかね、こういう風に言語が違う方向へいたずらで伸びてゆくような、そういうところに、なんか、言語表現というか、人間の手先のっていうか、動物の手先のっていうのか、弱いっていうかな、微弱なものっていうかな、それを、それでいいんだオー、イエスっていうね。そういう声をいつも耳にしているのですね。最終的にはそれはね、エロティシズムといってもいいし、遊び心といってもいい、皮膜性といってもいい、ものすごく微弱な遊び心ですよ。

—最近、映画を撮影されたとお聞きしました。泉鏡花をテーマに制作されたgozoCine『鏡花フィルム』についてお話をお聞かせください。

デュラスの『インディア・ソング』に出会ってぶったまげちゃってさあ。いつもどこかでその驚きを抱えていて、その状態のまま『鏡花フィルム』に入ったせいでしょうね。『鏡花フィルム』の序章は、泉鏡花の故郷の金沢に行く車の中なんですが、最初は富山の神通川かどこかの河原に出て、テキストを読むシーンを撮ろうかと普通に考えてたの。そしたらね、そんなことやるのが紙芝居みたいで急につまんなくなっちゃってね。それで、何か表現するんだったら危険を冒さなきゃいけないと思い立って、実際に危険なことやるんですけども、運転台に『インディア・ソング』と作った鏡花のフィルムを片手でぶらさげて、口には風鈴をぶらさげて、こっちにはカメラを持って、運転しながらやりはじめたの。それでもう殆ど事故寸前みたいな感じね。でもちょうど目の前を大きなトラックがスロースピードで走ってくれた。それは親不知・子不知トンネルっていうものすごく長いトンネルで、ずーっとそれを映しながら第一章が終わったんです。
『インディア・ソング』の舞台はガンジス河口で、水と縁があって、そしてそれに惹きつけられているのが僕を通過して鏡花と繋がり始めて、浅野川あたりで『インディア・ソング』が入って来ちゃった。ガンジス、水、河という、入れ子というよりも、何か水がめの中にいろんなものが入ってくるように入ってきましたね。そんなことがご一緒してこういうことをやってる間に生じてきました。『鏡花フィルム』も天才鏡花のものすごい皮膚、才能の皮膚を利用はしてるけれども、実は僕は『インディア・ソング』の方を語っているのかもしれない。そういう要素もあります。それはまだあまり言語化しないほうがいい部分だけど。
泉鏡花をやろうとしたのは、僕はどうしてか柳田國男さんや折口信夫さんに非常に惹かれていて、文学よりももっと奥深いもの、西洋でいうとフロイトの無意識の世界みたいなもの、それを代表するのが日本の民俗学なのね。そういう人たちともう何十年と付き合ってきて、彼らが一番大事にして絶対この小説家というのが泉鏡花だった。その鏡花の持っている深い無意識的な天才性の秘密、天才の無意識みたいなものだよね、それを先達の心に添って僕も読んでみようと。

—これまで吉増さんとイメージライブラリー・ニュースや講座の打合せを重ねてきましたが、その間にも吉増さんは、『インディア・ソング』というタイトルを何度か口にされていましたね。それで今回のムサビでの講座のテーマである「映画、光の棘(ひかりのとげ)」、『インディア・ソング』が、自然に立ち上がってきたように感じています。
『鏡花フィルム』の中に『インディア・ソング』が入ってくるという先程のお話もそうでしたが、すべてが浸透し合って繋がっていくのですね。柳田國男、折口信夫、泉鏡花、お蚕さんの話にありました芭蕉もそうですが、吉増さんの内側に持続している過去の人々の心と、現在触れられるものとが響き合ったり浸透し合ったりして、その時の吉増さんの表現に常に織り込まれてゆくと感じられました。

好奇心とか、子供心とか、学問心とか、哲学心とか、いろんな心が一杯人間ってあるわけじゃない。昆虫やワニだったら一個か二個しかないだろうけど、人間てもっとめちゃ一杯あるわけじゃない。それが不思議な具合にスパークして入り乱れてきてるものから何かが生じてくる時って、恋愛状態みたいなものに似てると思うけど、そういう時って胸騒ぎはするし、何かひっぱられるわけだよね。本当は表現とか生きていくってそういうことだから。それで気がつくと、音楽、映画、建築、文学もそうだけど、あらゆるものが、商売に取られちゃってるわけじゃない。ある程度それで伸びているところもあるけれども、最も微妙なところはこっちで確保しておかないといけないからね。それを我々は子供心とか、そういうもので捉えているんだよねえ。子供の目ってほんとこう動くからね。だからそれを半ば無意識的、意識的に表現に変えながら、その表現と対話していきながら、あるいはこういう刊行物を作って対話していきながら、ある層を作っていって、それでもって何かを変えていくっていうことですよね。

—佃新報、マジックメモのような人の手先による言葉の表現と、ビデオカメラという機械を介する映画制作の間に差を感じることはありますか。

ちょうど今朝方、全四巻の『鏡花フィルム』がクランクアップした直後なのでそれで頭が一杯なんですけど、これを作りながら同時に手を動かして、佃新報あるいは鏡花メモを殆ど同時に作っていました。シナメモっていうのかな、シナリオメモ。シナメモが先なのか映像が先なのかその交互の動きが実に面白くて。昆虫の眼の先みたいな文字が出てきて、世界の裂け目みたいなものが開いて書けた時に、次はカメラを持って行ってカメラのアンテナを振り回すという、そんなようなことが出てきているね。その時に一つ気がついたのは、都会生活の中で、我々こういうサウンドスケープの中に生きてるじゃない。視覚的なものよりも聴覚的なもので随分いろんな微妙な境界線や裂け目を横切っているのね。『鏡花フィルム』で、いろんな音源を作り出しながらカメラを振り回すんだけど、同時にカメラの横に耳みたいな、マイクロフォンの耳が動いている。目の傍に耳がついて、それで捕まえていくのね。耳の地図みたいなものがその時にさっさっさっと出来てくるのね。その耳の地図をブレても構わないから作っていってる時に、今生きて吸っている空気の質みたいなものがその瞬間にわかるの。そういうところへ昨日あたりは来てました。
だから、目と耳と鼻と口と、ここに集結してるわけじゃない? まあ動物皆そうだけど、それがすぐ傍で物を言い合っているっていう、良いことじゃなくて危ないこともありますけどね、そういうところに映画作りっていうのか、収穫っていうのか、手を動かすっていうのか、ものを聴くっていうのかな、作曲するっていうのかな、そういう先端が僕の場合には差し掛かってきてますね。それが百年くらい前に発生した映画の技術ではどんどん分化して産業になっちゃったんだけども、それが今や詩を五十年書き続けてきた奴の感覚の先端で、そういう非常に狂った耳の地図が目の前に現れてくる、しかもその「目」によって。そういうことが出てきてますね。これだけテクノロジーが進化してくるともう機械のほうが狂ってきちゃってるから、そっちに添いながら、それを大事に可愛がりながら、もっともっと細かくひび割れてる世界に触り始めたね。

—機械の目は人の目とは違って、思うように見てくれないと感じることがありませんか。

個人差もあるし女性の感覚もあるけど、男の子は機械を尊敬するようなちょっと奇妙な感覚があるよね。それが僕にもあって。解体して別のものにするというよりも、そこに出来てしまったいびつなものを可愛がるってセンスがガキにはあるのね。それがこの冊子の一番大事なテーマだと思うけども、一応僕らが子供心とか細かさと言っている、その最も大事な根源的な、実に精妙な流動性みたいなもの、それをどうやって時々刻々なんか触っていくかという問題で、そっちのほうに焦点を絞っていったら機械の問題っていうのはそれほど大きな問題じゃないのかもしれない。子供心って言ってるけれども、もっともっと大事な、何か鳥や昆虫がすっと目の前横切ったりするじゃない、遊びみたいに。ああいうものなんじゃないかなあ。動き、時間と言ったり、いろんな言い方をするけれど、そうしたもののはずみみたいなもの、昔は動物的なんて言ったけどそんなんじゃなくて、動物までも含めてそういうものに気づいて、それを生きていく力だね。きっとね。(2007年8月21日9月11日 収録)


*1 2007年7月9日〜8月12日に武蔵野美術大学 美術館・図書館で「射影のクオリア 行為−記録−素描−転写/版」展が開催された。柳澤紀子、池田良二、遠藤竜太の3人の教授の作品が展示され、ギャラリートークでは「版表現から自己表現へ」というテーマのもと、鷹見明彦(美術評論家)、柳澤紀子、池田良二、遠藤竜太の対談が行われた。

*2 デザイン、民俗学、近代思想史、現代思想、表象文化など多岐にわたるテーマを取り上げた美術雑誌。武蔵野美術大学出版局発行。2001年120号をもって休刊中。


参考文献・出典
高銀,吉増剛造『「アジア」の渚で—日韓詩人の対話』藤原書店、2005年。

(Web版イメージライブラリーニュースへの掲載に当たって、内容の一部を割愛・編集しております。名称・役職名等は掲載当時のものです。)