武蔵野美術大学 美術館・図書館 イメージライブラリー

IMAGE LIBRARY NEWS イメージライブラリー・ニュース第27号

複数の異質なリアルさの拮抗  『2/デュオ』をめぐって

文=古谷利裕 (画家・批評家)

 真に迫っていることや、真実らしさのことだけをリアルと言うのであれば、リアルという言葉はとても貧しい。
 『2/デュオ』には、非常に緊迫していて、観ていて息苦しくさえなるような男女関係がリアルに刻まれている。この文章を書くためにDVDで観直している時も、途中で何度か呼吸できなくなりさえした。身につまされる、あるいは実際に男女の修羅場に居合わせてしまったかのような緊張を強いられる。男は、ここでそれをやったらおしまいでしょうとか、このタイミングでそれを言い出すのは最悪だろうとか、思わず突っ込みたくなるような男女関係における地雷を次々と踏みまくる。女は最初それに耐え、相手を理解しようと努めるが、ついに女もキレて反撃する。しかし女の反撃は、まっすぐに相手に向かうというよりも、屈折して自分の方に向かってしまう。男が、現状の困難や不安を女に十分に伝えられずに、唐突に「結婚しよう」などと言い出すことでそれを誤魔化すことしか出来ないのと同様、女は、男に対する感情を男に向かってぶつけることが出来ず、その感情は自分自身の方へと折り返し、自分自身にダメージを与える。
 お互い、空気が険悪な方向へと向かわないように懸命に気を遣って相手に対しているのが見て取れるのだが、ちょっとした「押さえきれない感情」が具体的な言動としてぽろっと出てしまうと、それをきっかけに今までぎりぎりで持ちこたえさせてきた留め金が外れ、一気に最悪な方向へと関係が流れてしまう。そのような、男女の間にある関係の空気の変化を、その微妙な震えまでを、俳優の身体は表現し、カメラは濃密に捉え、それは観客にまで感染する。当初、男の方が一方的に女に甘えているように見えたのだが、ある瞬間に女がもう自身を持ちこたえられなくなり、崩れてしまうと、その途端、男の表情は一変して保護者のような優しいものとなる。ここでは距離をとった冷静な感想ではなく、こういう事は、もうほんとにこうなんだよなあ、という、そのどうしようもなさに胸が苦しくなってくる。
しかし、同時に、この作品では、そのような男女関係に生々しく迫るリアルさとは別種のリアルさが、それと拮抗するようにずっと共存している。
 二人の住む部屋はアパートの二階の角部屋である。壁のうちの二面に窓があり、それはしばしば開け放され、外からの光が射し、カーテンが揺れ、音が侵入する。朱色のものが強調される以外はこれといった視覚的な特徴があるわけではないありふれた部屋が主な舞台となるこの映画で、この事はとても重要だ。例えば冒頭の場面で、画面はベッドの上の男を捉えたままでも、窓から外のざわめきが侵入してくるし、仕事に出かけてゆく女がドアを閉めて、階段を下りてゆく音までが画面外から聞こえてくる。この音響によって、これから作品の舞台となる部屋がふわっと宙に浮いたような空間として生々しく立ち上がる。このリアルさは、映画というメディアによってはじめて可能になるような種類のリアルさだと言える。
 あるいは、この映画では、登場人物に画面の外からの声がインタビューをするというカットが物語の流れを阻害するかのように差し挟まれる。インタビューからは、俳優が役の人物になりきろうとする微妙な戸惑いが見て取れて、俳優が役のことを考えている「反省」を感じさせる距離の感覚を作中に招き入れる。同時に、人物の背後に写り込む風景の侵入が、関心が「人物」だけに近寄っていってしまうのを抑制する。それによって作品が男女関係の生々しさの方だけに流れてしまわないよう留めている。だが、女の最後のインタビューでは、役の女と俳優自身がほとんど一体化してしまっているように見えて、男女関係のリアルさが押し返しているように思われる。つまりここにも異なる力―リアルさの抗争―拮抗がある。
 さらに、終盤、女が突然アパートを出て行ってしまった後、何故か唐突に電車が頻出するようになる。女の失踪後の男のインタビューでは、背景に高架を走る電車が写り込み、その音も拾われる。男が就職したことを示すスーツ姿のカットの背景には駅が映っている。男が女と偶然出会うのも、線路の下のトンネルである。自転車に乗った女が逃げ、自動車の男が追いかけるのは、おそらく線路沿いの道である。そして、失踪後の女が住んでいるのが、窓のすぐ外を電車が通るような線路脇のアパートである。最後の女のインタビューも、線路の脇の空き地で行われ、背景に電車が通る。電車に象徴的な意味があるということとは違う。ずっと狭い空間で二人の関係を追っていたこの映画に、つまり二人の間に、突然、外からやって来る、走る電車の暴力的な力が通過して、その癒着的関係を相対化する。これもまた、別種のリアルな力として映画のなかに立ち上がる。
 この映画の中心には、男女関係の切迫したリアルさがある。しかし同時に、様々な異質な力とリアルさが、二階の角部屋の窓から侵入してくるざわめきのように、窓のすぐ外を通り抜ける電車のように、映画の内部で交錯し、二人の間を横切る。その、拮抗、抗争、ざわめきこそが、この映画の作品としてのリアリティを支えているように思う。

映画が生まれる場所と、その外側の世界についての映画

文=久保田桂子(イメージライブラリー・スタッフ)

諏訪敦彦監督

 諏訪敦彦氏は、かわなかのぶひろ氏の影響を受けて1976年に東京造形大学デザイン学科に入学し、在学中より様々な自主映画製作の現場に助監督として参加しはじめ、卒業後も山本政志氏、長崎俊一氏、石井聰亙氏の映画に関わった。1984年に制作した8ミリ映画『はなされるGANG』がぴあフィルムフェスティバルに入選。その後、テレビドキュメンタリー番組の演出を数多く手がけた。
 1997年に制作された長編第一作『2/デュオ』は、ある恋人たちについての映画だ。ふたりは、自分と相手との関係性を問い直し、誠実な在り方を探しはじめたばかりに、それによってもとの関係に安住することがもう出来ない。そしてこの映画が作られる過程においても、諏訪氏はそれまで現場経験で培ってきた映画制作のノウハウから自ら距離を置き、再び自分自身に「自分にとっての映画作りとは何か?」ということを問い直した。『2/デュオ』の映画パンフレットの中に、リングノートにペンで書かれた『「2/デュオ」の「場」』という諏訪氏の文章がある。
 
「そして半年間、そのシナリオを書き直し続けた。しかし、それは私にとっては果しのない作業に思えた。どこまで書き直しても、書くという形式の中では自分が映画の中で実現したい現実感に到達する気配が無かったからだ。映画を撮るのになぜシナリオという形式でなくてはならないのか? なぜ映画に語るべき物語が必要なのか? その物語は、なぜ予め用意されていなくてはならないのか? 映画を撮るために何をすれば良いのか? 映画とは何だ? 結局、私は振り出しに戻らざるを得なかった。シナリオは第八稿で捨てた。もっとダイレクトに映画を撮る私なりの方法があるはずだと思えた。」(諏訪敦彦「『2/デュオ』パンフレット」p.11)

 『2/デュオ』の撮影はシナリオがないところから始まり、出演者やスタッフとのディスカッションを重ねながら進められた。出演者は映画の中でどのように生きるかを委ねられ、現場で自分自身の感情を模索する。一方スタッフは、出演者達によって一度きり経験される「場」をカメラとマイクで記録してゆく。ひとつのシーンの撮影が終わると、その場にいる全員が意見を出し合い、次のシーンを考えてゆく。映画の完成後に書かれたこの文章には、 『2/デュオ』という映画の場所が生成されてゆく過程が丁寧に、切実に記されており、 「『2/デュオ』の作者は私ではない、皆がいたあの場が作者だ」という言葉で結ばれている。
 映画における即興演出は、これまでにも様々な監督によって試みられている。しかし、諏訪氏の映画から強く感じられることは、手法そのものよりも、出演者やスタッフとともに現実の「生」を探求する旅に出るという映画作りの姿勢である。そしてそれは、以後の作品で行われる様々な試みの根底に一貫して流れている。
 『M/OTHER』(1999年)では、はじめ諏訪氏個人によって書かれた人物設定とあらすじは、出演者やスタッフとのディスカッションとリハーサルを経て大幅に変更され、人間の生活の息づかいを伴った場面へと変化していった。そうすることによって、映画の中にひとりの女性の等身大の存在感を浮かび上がらせた。 『H story』(2001年)では、アラン・レネ監督によって40年程前に撮影された『二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)』を道しるべに、広島出身の諏訪氏が、様々なイメージで語られる「ヒロシマ」の向こう側にある、自分にとっての「広島」へ辿りつこうとする道筋が描かれている。 『二十四時間の情事』は、戦争の記憶もまだ生々しい広島を舞台に、記憶と忘却について描いた映画だ。 『H story』では、その『二十四時間の情事』を2000年の広島でリメイクするために集まった人々が、撮影が行われる現場と、本来撮影されることのない映画の外側で、現在と記憶を巡る様々な問いの中を彷徨う。また、『H story』を制作する過程での出会いは、以後の『不完全なふたり』(2005年)から最新作『ユキとニナ』(2009年)へと続くフランスでの映画作りへと連なってゆく。
 諏訪氏の映画では、小さな人間関係と、その場所で発生する感情に視線が向けられている。 『2/デュオ』では厳格なまでに徹底してふたりの存在だけを見つめているが、ふとした時に誰もいない風景に眼差しが注がれる瞬間がある。それは男のもとから姿を消した女が、ひとりの部屋でふと窓の外から響いてくる列車の音に体を起こした時だ。彼女に共鳴するように、窓の外を通過する貨物列車が数秒間映し出される。その光景から穏やかな日常の気配を受け取る時、映画に映っているものは、私達が生きている日常の世界と地続きで繋がっている、という強い感覚が呼び起される。
 映画が実際に作られている小さな場所と、その外側の世界との関係においても、同様ではないだろうか。 『2/デュオ』に挿入される出演者へのインタビュー映像では、その映画の中で彼らがどう生きようとしているかを模索する姿が映し出される。しかしその背後には、電車や車が走り、映画には関係なく広がる現実の風景が映っている。カメラは映画が生成されつつある現場、そしてそこを取り囲む現実の世界とに平等な眼差しを投げかけ、それぞれがひとつの映画の中でモザイク画のように響き合っている。
 映画が作られるのは撮影現場だけではない。映画は観る人と出会った時にはじめて生きはじめる。映画を観る行為は一見自分の内面で行う閉じられた経験のようにも思える。しかし諏訪氏の作品は映画が作られ、私たちと出会うまでのすべての過程で、映画がその外側にある現実の世界へと常に開かれた存在であることを気づかせてくれる。

諏訪敦彦監督作品紹介

文=狩野志歩(イメージライブラリースタッフ)

2/デュオ
1997年/95分/監督・構成:諏訪敦彦/キャスト・ダイアローグ:柳愛里、西島秀俊 他/監督・構成:諏訪敦彦/エグゼクティブ・プロデューサー・美術:磯見俊裕/プロデューサー:仙頭武則、小林広司/撮影:田村正毅
1997年 ロッテルダム国際映画祭 NETPAC賞 受賞

 ブティックで働く優と売れない俳優の圭は同棲生活を送っていた。互いを思いやりながらもどこか不安定な2人の関係は、圭の「結婚しよう」という一言によって次第に均衡を失ってゆく。
諏訪敦彦の長編第一作。用意した脚本は主演の柳愛里との対話を重ねるうちに幾度も書き直され、最終的にはシナリオも台詞も一切を破棄したところから撮影が始まった。設定だけ与えられた役者はその場で考えながら即興で演じ、カメラは予測不可能な彼らを追いかける。ドキュメンタリーと演出の狭間に揺れるような画面は、まるで優と圭の危うげな関係を暗示するかのように特異な緊張感を生み出している。

M/OTHER©1998 WOWOW/BANDAI VISUAL

M/OTHER
1999年/147分/監督・構成:諏訪敦彦/キャスト・ダイアローグ:三浦友和、渡辺真起子、高橋隆大 他 監督:諏訪敦彦/プロデューサー:仙頭武則/音楽:鈴木治行/ストーリー:諏訪敦彦、三浦友和、渡辺真起子
第52回カンヌ国際映画祭 国際批評家連盟賞 受賞

 恋人同士のアキと哲郎はそれぞれ仕事を持ち、自由で自立した関係を築いてきた。ある日、哲郎の前妻から息子の俊介を預かることになり、疑似家族としての生活が始まる。
前作「2/デュオ」で得た即興的手法を、より意識的に試みた作品。役者との綿密なディスカッションを経て作られた構成台本を元に演じられ、「構成台本のみでシナリオがない」という諏訪敦彦のスタイルを築いた。 ぎこちなかったアキと俊介が打ち解けていくに従い、アキが直面する「母」という役割への戸惑いと苦悩、それを理解出来ない哲郎との衝突を通して、家族や男女、他者との暮らしの中での真の自由とは何かを問いかける。

H story©2003 J-WORKS

H story
2001年/111分/監督・編集:諏訪敦彦/撮影監督:キャロリーヌ・シャンプティエ/プロデューサー:仙頭武則 音楽:鈴木治行/立案:諏訪敦彦、諏訪久子/キャスト:ベアトリス・ダル、町田康、馬野裕朗 他
第54回 カンヌ国際映画祭「ある視点」部門 出品

 アラン・レネ監督「二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)」のリメイクの撮影中、ベアトリス・ダルはデュラスの原作のままに演じること、40年前の作品を今、リメイクすることに疑問を抱き苦悩する。撮影は中断し、スランプの彼女の前に作家の町田康が現れ、広島の街へと連れ出す。 頓挫したリメイクの本編とメイキング、時折挿入される原爆の記録映像と「ヒロシマ・モナムール」のスチール、そしてダルと町田の逃避行というフィクション…それらが断絶することなく一つの映画として提示されるとき、過去の「ヒロシマ」と現在の「広島」が超えられない時間とともに重なり合う。


不完全なふたり
2005年/108分/監督・構成:諏訪敦彦/撮影・アーティスティック・ディレクション:キャロリーヌ・シャンプティエ/プロデューサー:澤田正道、吉武美知子/音楽:鈴木治行/キャスト:ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ、ブリュノ・トデスキーニ 他
第58回ロカルノ国際映画祭 審査員特別賞・国際芸術映画評論連盟賞 受賞

 結婚15年のマリーとニコラは、友人の結婚式に出席するためパリへやってきた。周囲からは「理想的なカップル」と思われている2人だったが、既に離婚を決めていた。行き詰まった関係を終わりにすることも出来ないまま喧嘩を繰り返し、「ふたりでいること」に悩み迷うマリーとニコラ。そして、マリーは訪れたロダン美術館で、溶け合い一つになろうとする男女の彫像に魅了される。
撮影監督はゴダール作品などの撮影を手掛けてきたキャロリーヌ・シャンプティエ。諏訪敦彦とは前作「H story」から深い信頼関係で結ばれ、本作ではキャスティング、美術、衣装など作品の大部分に関わった。


ユキとニナ
2009年/93分/監督・脚本:諏訪敦彦、イポリット・ジラルド/エグゼクティブ・プロデューサー:澤田正道/撮影:ジョゼ・デエー/キャスト:ノエ・サンピ、アリエル・ムーテル 他

パリに住む2人の少女、フランス人の父と日本人の母を持つユキと離婚した母と暮らすニナ。ある日、ユキは母が父と別れて日本で暮らしたいと思っていると知る。仲良しのニナと離れたくないユキ。2人は必死にユキの両親を仲直りさせようと努力するが、その想いは大人達には届かず、ついに2人は家出を決行する。迷い込んだ森のなかで、やがてユキは自らの意志で新しい世界を受け入れることを決意する。 これまで、脚本に頼らず役者やスタッフとコラボレートする形で作品を生み出してきた諏訪敦彦が初めて共同監督に挑戦。イポリット・ジラルドとは共に父親であるという共通の経験から、大人の解釈を超えた複雑な存在である「他者」としての子どもを描いた。

イメージ・コレクション其之五 『視る欺瞞』

文=松本夏樹(武蔵野美術大学、大阪芸術大学非常勤講師)

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(Web版イメージライブラリーニュースへの掲載に当たって、内容の一部を割愛・編集しております。名称・役職名等は掲載当時のものです。)



参考文献

柄谷行人『意味という病』 講談社文芸文庫、1989年。
城戸朱理,宮岡秀行監修『Edge:映画と詩の間』スタジオ・マラパルテ、2003年。
ドゥルーズ、ジル『シネマ2*時間イメージ』 法政大学出版局 、2006年。
リンディホップ・スタジオ編『Alternative Movies in Japan 日本映画のパンク時代1975-1987』愛育社、2006年。
『日本映画のニューウェイヴ“リアル”の彼方へ;日本映画A GO GO!』エスクァイア マガジン ジャパン、2000年。
「『2/デュオ』パンフレット」ビターズ・エンド、1997年。
「『M/OTHER』パンフレット」サンセントシネマワークス、1999年。
「『H story』パンフレット」東京テアトル株式会社、2003年。
「『不完全なふたり』パンフレット」ビターズ・エンド、2007年。
「『ユキとニナ』パンフレット」ビターズ・エンド、2009年。