武蔵野美術大学 美術館・図書館 イメージライブラリー

IMAGE LIBRARY NEWS イメージライブラリー・ニュース第28号

アンダーグラウンドから個人へ  一九六〇〜七〇年代における映像表現の変遷

文=西村智弘(映像評論家)

 一九六六年六月に草月会館で開催された「アンダーグラウンド・シネマ—日本・アメリカ」は、日本にアンダーグラウンド映画を本格的に紹介した上映会であった。この上映会とともにアンダーグラウンド映画が広まっていき、アングラ・ブームと呼ばれる流行現象にまで発展することになる。
 アンダーグラウンド映画とは戦後のアメリカに台頭した実験映画のことである。すでに日本でも実験映画は知られていた。松本俊夫のように五〇年代後半から実験映画を手掛けた作家がいたし、六〇年代に入ると、寺山修司のように他ジャンルから実験映画に接近した作家、城之内元晴のように学生映画の枠内で実験的な作品を制作した作家、飯村隆彦大林宣彦のように小型映画で表現の実験を試みる作家などが登場していた。しかしアンダーグラウンド映画は、まったく新しいタイプの映画の誕生を印象付けたのである。それは、個人で映画を制作していた作家に影響を与えると同時に、若い世代のあいだで映画を制作することが流行するきっかけとなった。
 六〇年代末頃は政治的にも文化的にも反体制の時代であった。従来の規範を覆し、表現の新しさを果敢に追求したアンダーグラウンド映画は、時代状況とぴったり重なり合うように浸透していった。そこでは、商業映画に対するアンチテーゼが強く意識され、通常の映画が排除してきたテーマや手法が積極的に取り入れられた。
 当時の作品に男女を問わずやたらに裸が登場するのもこの点に関わっている。裸体表現は、検閲制度を定める国家への抵抗であり、タブーを許容する社会通念に向けた反抗であった。しかし裸体表現にはそれ以上の意味がある。いわば裸体は意識の制御を超えた身体の過剰さの表出であった。映画作家たちは、この過剰さに社会に対抗しうるエネルギーを見いだした。
 六〇年代はさまざまなジャンルで身体が注目された時代であった。演劇や舞踏はいうまでもなく、美術や音楽の分野でも「ハプニング」と呼ばれた行為の表現が流行していた。映画作家たちはそうした身体表現にカメラを向けている。飯村隆彦の作品には舞踏家の土方巽やパフォーマンス・アーティストの風倉匠が登場するし、かわなかのぶひろが率いていた8ジェネレーションはゼロ次元などのハプニングの記録を撮り続けた。身体的パフォーマンスはアンダーグラウンド映画の重要な表現手段であった。この時代に特有の身体表現は、ドナルド・リチーの『シベール』(一九六八)や金井勝の『無人列島』(一九六九)、寺山修司の『トマトケチャップ皇帝』(一九七〇)などの作品に見ることができる。
 映画作家は単に身体的なパフォーマンスをフィルムに定着しただけではない。作家みずからが映画を使ったパフォーマンスを行った。そうした試みは「エクスパンデッド・シネマ」(拡張映画)とか「インターメディア」と呼ばれることになる。エクスパンデッド・シネマとは、映画の概念を拡張する試みのことで、複数のスクリーンで上映したり映画とパフォーマンスとを組み合わせたりすることをいう。それは既存の映画形式に対する反抗の表現でもあった。
 早くからこの種の試みを行っていたのが飯村隆彦や城之内元晴である。彼らは前衛美術家と交流があって、その影響から映画によるハプニングを実践した。8ジェネレーションの場合も、単にハプニングを記録するだけでなく撮影や上映という行為をハプニングとして展開した。この時期急速にアンダーグラウンド映画に接近した松本俊夫も映画を使ったパフォーマンスを行った。
 しかしアンダーグラウンド映画は、アングラ・ブームという流行現象になった時点でマスメディアに消費される運命にあった。ブームとしてのアングラは一九六九年に終焉している。一九七〇年になるとアンダーグラウンド映画はまったく衰退してしまい、多くの作家が映画から離れていった。熱狂の時代は終わったのである。
 しかしながら、六〇年代後半に生まれた映画制作の流れが途絶えたわけではなかった。七〇年代初頭には、地道に制作を続けていた作家に若い世代の作家が加わって、静かなブームというべき状況が生まれるからである。アンダーグラウンド映画という名称はしだいに忘れられていったが、それに代わって登場したのが「個人映画」という名称であった。
 時代状況の変化は当然表現のあり方にも変化を及ぼす。七〇年代の映画表現は、カウンター・カルチャーとしてではなく作品としての自立したスタイルを求めるようになっている。このとき新たに表面化した二つの方向があった。ひとつは、映画の構造や形式を主題化し、技術的な関心から表現を構築する方向であり、もうひとつは、自分自身や身の回りにカメラを向けるプライベート・ドキュメンタリーである。ここでは前者を「構造映画」、後者を「日記映画」と呼ぶことにする。
 映画の構造に対する関心をいち早く示したのが奥山順市である。彼はアンダーグラウンド映画から出発しつつも、一九六九年に「映画解体計画」と呼ぶ映画の原理にアプローチした作品の制作をはじめた。この試みは「映画組成計画」に受け継がれ、フィルムの仕組みを分析的に示した『LE CINÉMA(映画)』(一九七五)のような作品を生みだした。
 映画の構造を主題化するスタイルは、七〇年代になって登場した若い世代の作家に顕著であった。たとえば中島崇の『セスナ』(一九七四)、居田伊佐雄の『オランダ人の写真』(一九七六)、瀬尾俊三の『フィルム・ディスプレイ』(一九七九)などに共通していたのは、再撮、コマ撮り、コマ単位の編集といった技巧を駆使することで映画の原理そのものを作品化したことである。この時期には写真家の山崎博もカメラの技術に基づいた実験映画に着手し、複雑な多重露光を試みた『観測概念』(一九七五)などを制作した。松本俊夫は、連続写真をシステマティックに再撮した『アートマン』(一九七五)などで映画の構造にアプローチしている。
 日記映画的なスタイルが台頭したのは七〇年代初頭であった。かわなかのぶひろは、北海道の旅行記である『北帰行』(一九七三〜七四)あたりからプライベート・ドキュメンタリーのスタイルをはっきりと打ちだしている。しかし同時期に彼は、『PLAYBACK』(一九七三)や『写真銃』(一九七四)などの映画前史や初期映画をテーマにしたシリーズを手掛けていた。こうした作品は日記映画ではなく、むしろ映画の構造的な関心に基づいて制作されている。当時のかわなかは、歴史の原点に返って映画表現を問い直そうとしていた。
 自己告白的な側面をもつ日記映画と、映画の原理をストイックに追求する構造映画は、一見すると対極にあるようにも思えるが、七〇年代においては少しも対立していなかった。むしろ両者は混合しながら存在していた。たとえば、出光真子の「At Yukigaya」シリーズや安藤紘平の『通り過ぎる電車のように』の連作は、自宅や自宅周辺の場所にこだわっている点でプライベートなのだが、撮影や編集の側面では技巧的で映画の構造に対する関心を認めることができる。
 萩原朔美は、寺山修司が主宰する天井桟敷に参加した経験をもつが、『タイム』(一九七一)や『キリ』(一九七二)といった最初期の作品は、ストイックに表現を切り詰めていて概念的な傾向をもち、ときには技巧的でもあって映画の本質を志向している。しかし、自分の日常にカメラを向けた「メモリー」シリーズでは日記映画のスタイルに移行している。
 鈴木志郎康の場合は日記映画から出発している。彼の『日没の印象』(一九七五)では、買ったばかりの16ミリカメラで家族や同僚、近所の風景などが撮影されている。この作品は、日記映画のスタイルが確立されるプロセスがそのまま作品になっているのだが、それは同時にカメラで撮影することの意味を問いかける作業となっている。自己を対象化したこの作品のもうひとつのテーマはカメラであった。
 七〇年代の映画表現に共通するのは、映画の前提を問い直すところから表現を構築しようとする姿勢である。構造映画と日記映画は、表現の前提を検証する作業のなかから生まれた二つのスタイルであった。つまり、表現媒体の前提を問い直していったとき、映画の技術や形式を主題化した構造映画になるのであり、制作主体の前提を問い直していったとき、自分やその周辺にカメラを向ける日記映画になる。
 六〇年代後半において表現の変革は社会的な変革の意識とつながっていた。このとき表現は映画の外側の世界を志向していたといえる。一方、七〇年代にはそうした社会との関係が成立しなくなっている。その代わりに表現は映画の内側に向かっていった。構造映画は、映画の原理という表現媒体の内側に向かった表現であり、日記映画は作家自身という表現主体の内側に向かった表現である。六〇年代の反体制的な熱狂が醒めたとき、表現自体を反省的に捉えるところから改めて出発しようとしたのが七〇年代の個人映画であった。
 しかし七〇年代の個人映画が前の時代と断絶していたわけではない。アンダーグラウンド映画は身体のもつ過剰さへ突き進んだが、この身体性の表出が内側に向かったときに自分自身と出会うのであり、ここから日記映画のスタイルが生まれたと考えることができる。一方、六〇年代末に流行したエクスパンデッド・シネマには映画の形式に対する自覚があり、この自覚をより明確に主題化したときに構造映画となる。七〇年代の表現は六〇年代の実験的な試みの延長にあった。
 七〇年代の映画作品は、六〇年代のアンダーグラウンド映画のような派手さはなかったが、表現としての深化を認めることができる。そしてそれゆえにこそ、アングラ・ブームのような一時的な流行で終わるのではなく、八〇年代、九〇年代と多くの作家に受け継がれていった。とくに構造映画と日記映画のスタイルは今日に至る映像表現の原型になっている。

日本の実験映像作品紹介

文=狩野志歩、田中友紀子(イメージライブラリー・スタッフ)

イメージライブラリーでは、造形研究センターの活動の一環として、映像の表現史を俯瞰して研究するための映像資料整備を進めており、平成21年度には重要でありながらも一般に視聴する機会の少ない、日本の実験映像作品を9作品収蔵した。


石っころ
監督:高林陽一/1960年/28分

河原で石を運び続ける一人の男。そこに一人の女性が現れて…。石を運ぶ繰り返しの中に男の人生を描いた作品。イタリア・モンテカティーニ・アマチュア国際映画祭金賞、イタリア・サレルノ国際映画祭銀賞受賞。高林陽一は個人映画の草分け的存在としてその後の映画青年たちに大きな影響を与え、1965年に制作した「ひなのかげ」は日本人として初めてニューヨーク近代美術館に収蔵された。


へそと原爆
監督:細江英公/1960年/11分

海岸で戯れる子供達の楽園。一人の男が現れて禁断のスイッチ(=へそ)を押すと…。写真家・細江英公が舞踏家・土方巽を主演に「ジャズ映画実験室」(‘60)で上映する為に制作した。千葉の海岸で撮影され、助演の大野慶人のほかは地元の漁師とその息子達が出演。海辺の強烈な太陽光がもたらすハイコントラストのモノクロ画面に浮かび上がる裸体が、土方の振付けによってユーモラスに蠢く。


風流
監督:粟津潔/1972年/11分

絵画、版画、原画、ポスター、装丁、彫刻など、ジャンルを横断して活動してきた作家・粟津潔による映像作品。白い壁に映った窓外の揺れる木々の影を、いくつかのフィックスショットで撮影している。窓外の木々は最後まで映画に登場しない。そこには、木々の複製ともいえる影を、光と影をいわば複製する映画によって捉えるという、光と影の複複製の構造が存在している。


KIRI
監督:萩原朔美/1972年/8分

たちこめる霧が徐々に晴れ、遠くの山並みが現れる様を8分間のワンショットで捉えた作品。固定カメラで一つのものをずっと撮り続けるというコンセプトは、バージニア・リー・バートンの絵本「ちいさいおうち」からインスパイアされたという。霧の中から稜線がゆっくりと出現する感動的な光景は偶然の産物であると同時に、作者の意図的なコントロールによって切り取られることで作品として成立している。


日没の印象
監督:鈴木志郎康/1975年/24分

作者が中古の16ミリカメラを手に入れた喜びから映画は始まる。最初にレンズを向けたのは妻と赤ん坊、そして日々出会うささやかな感動をカメラに収める。当時、詩人として活躍しながらNHKのカメラマンでもあった鈴木志郎康は、マスメディアとは全く異なるベクトルへ向かう極私的なまなざしの中に、“撮る”ことの原初的な衝動と詩を書くように映画を撮ることの幸福を見いだした。


映画・Le Cinéma

監督:奥山順市/1975年/5分

奥山順市は一貫して映画の構造やフィルムの物質性、カメラの機構そのものをテーマに制作している。古いブルーフィルムの1秒間のフッテージを24枚の静止画として再配置し、1秒=24コマで構成される映画のメカニズムを暴きだす作品。フィルムに同期しているサウンドと1コマ毎に刻まれた数字は、撮影されたフィルムには映らない、映画自体が持つ運動をストレートに体験することができる。


オランダ人の写真
監督:居田伊佐雄/1976年/7分

波間を歩く自らの足元を撮影した数百枚からなる連続スチール写真を、16ミリカメラで再撮影した作品。写真を様々な配列でテーブルの上に一枚ずつ規則正しく重ねていき、その過程をアニメーション撮影の要領でコマ撮りすることによって、スチール写真の静止したイメージから新たな動きのイリュージョンが生みだされる。


SWITCHBACK
監督:かわなかのぶひろ/1976年/9分

日本におけるファウンド・フッテージの先駆的作品。リュミエール兄弟の『列車の到着』を1コマずつ自由にコントロールして別の動きを与えた「PLAYBACK」をはじめとして、かわなかはいくつかのファウンド・フッテージ作品を手がけている。「SWITCHBACK」では古いニュース・フィルムや絵はがきのオリジナルのイメージを再構築し、そこに新たな物語を発見している。


ヘリオグラフィー

監督:山崎博/1979年/6分

コマ撮り撮影の手法によってカメラが水平線に沈んでいく太陽を追尾する。やがて、上下が逆転した地平線から太陽が昇る。写真家・山崎博による映画。タイトルの「ヘリオグラフィー(太陽による画)」とは、写真の黎明期、創始者の一人であるニエプスが自分の発明した写真術に命名した言葉である。氏の写真作品に太陽を長時間露光撮影した同名のシリーズがある。

イメージ・コレクション其之六 『透かし見る時間』

文=松本夏樹(武蔵野美術大学、大阪芸術大学非常勤講師)

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(Web版イメージライブラリーニュースへの掲載に当たって、内容の一部を割愛・編集しております。名称・役職名等は掲載当時のものです。)