大学で法律を学ぶが、在学中から演劇活動に熱中し、卒業後は映画界に入る。当初から短編ドキュメンタリーの監督として活躍。1952年の「IL MERCATO DELLE FACE」などで高い評価を得て、計15本の短編を生み出した。1954年、長編映画「LE RAGAZZE DI SAN FREDIANO」で監督デビューする。イタリア映画界を担う才能と期待されながらも、制作者との意見の相違といったトラブルが度々起きて、残した作品は多くはなかった。代表作は1962年の「家族日誌」で、ヴェネチア映画祭でグランプリを獲得している。