巡業のレヴュー一座のコーラスを経てラインハルト演劇学校に入学。すぐに舞台に立つようになり、1923年に映画デビューを果たす。20年代の後半には舞台と映画でかなり名を高めだしていたが、国際的な場にひっぱりだしたのはジョセフ・フォン・スタンバーグ監督である。ウーファ社のための「嘆きの天使」で、退廃的な雰囲気をもった彼女の名はたちまち世界に広がっていった。1937年、イギリスで「鎧なき騎士」に出演したとき、ヒトラーからナチス・ドイツ映画に出演するよう説得されたが、彼女はこれを拒否。そのためドイツでは彼女の作品は焼却されてしまった。1939年、アメリカの市民権を得て、第二次世界大戦が勃発すると前線慰問や反ナチ運動に参加、1947年にはアメリカ市民最高の名誉である“自由勲章”を送られる。自伝として西ドイツで出版された“MY LIFE HISTORY”があり、1986年にはマクシミリアン・シェルがインタビューと演出を手がけたドキュメンタリー「マレーネ」が公開された。