雑誌の漫画家を経て、第一次世界大戦従軍の後、舞台俳優、プロデューサー、舞台美術などを務め、ロンドンの舞台演出「旅路の終わり」が認められて渡米する。1930年「旅路の終わり」の映画化でハリウッドに進出。「ウォタルウ橋」(1931年)で本格的に活動を開始した。彼の作品にはメロドラマやミュージカルもあるが、「フランケンシュタイン」「透明人間」「魔の家」などのユニヴァーサルの怪奇映画によって知られている。1941年に引退した後、何度か再起を図ったが失敗し、1949年の「Hello Out There」も未完に終わった。1957年に自宅のプールで死体となって発見され、その死は怪奇監督らしいミステリーにつつまれている。