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利用状況

生年月日

Date of Birth

1893/02
没年月日

Date of Death

1953/06/30
出身地

Birth Place

ロシア/Russia 帝政ロシア,ヴォルガ地方,サラトフ,ペンザ
経歴

Biography

国立映画専門学校でウレジミール・ガールジンの指導を受けるが、古風な自然主義的創作法に満足せず、レフ・クレショフのグループに入る。この<クレショフ工房>で映画のあらゆる分野を学んだ。俳優や共同監督、脚本家としていくつかの作品を経て、「チェス狂」を制作。一般的にはこの作品が監督処女作だといわれている。「母」(1926年)では、俳優の演劇的誇張をそぎおとすとともに、さまざまな風景や物体の象徴的モンタージュと結合させて新しい映画心理描写の可能性を開拓し、エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」とともにソヴィエトのモンタージュ論の代表作となった。1928年にエイゼンシュテインらとともに<トーキーに関する共同宣言>を発表、トーキー映画の未来は映像と音の対位法的処理にあると示唆した。しかし、ソヴィエトの芸術政策が社会主義リアリズム路線確立期を迎えると、彼の作品は「形式主義」と批判された。俳優としても多くの作品で個性的な演技をみせ、映画理論の面でも「映画監督と映画材料」「映画における俳優の仕事とスタニスラフスキー・システム」などの著書・論文を発表し、世界的に大きな影響を与えた。