フランス、ドイツ、スイス、アメリカで教育を受け、第一次世界大戦には空軍に参加した。戦後、舞台の仕事につき、舞台監督、劇作家のみならず、作詞から俳優までを手がけた。トーキー時代が到来した1930年代に「チュウインガム行進曲」のダイアローグを担当したのが最初の映画の仕事である。1933年、ウィリアム・K・ハウアド監督「力と栄光」で脚本家としてスタート、多くの作品を手がけ1930年代後半の第一線脚本家となった。皮肉で風刺に富んだ達者な作劇術でとりわけ喜劇に才能をしめした。1940年、「The Great McGinty」で監督も手がけ、アカデミー・オリジナル脚本賞を受賞した。