本名ジャック・レオン・ルイ・フレデリクス(Jacques Léon Louis Frédérix)。父の希望に従って軍人として身を立てようとしたが、途中で演劇を志したため、父からフレデリクスの姓を名乗ることを許されず、生家の近くの町の名をとってジャック・フェデと名乗るようになった。1910年パリに移り住み、俳優となった。1915年、ガストン・ラヴェル監督の監修のもと長編第一作の演出を開始したが、ラヴェル監督が第一次世界大戦に動員されたので、単独で作品を完成し、1921年には「女郎蜘蛛」を発表して一流監督として注目されるようになった。1929年、ハリウッドに招かれて3本のアメリカ映画を制作したが、1933年フランスに戻り「外人部隊」「ミモザ館」「女だけの都」の三部作を制作、この後、イギリス、ドイツで数本の作品を制作した。「女だけの都」はヴェネチア映画祭監督賞を受賞。