login

利用状況

生年月日

Date of Birth

1909/11/07
没年月日

Date of Death

1938/09/17
出身地

Birth Place

日本/Japan,京都府,京都市,下京区
経歴

Biography

1927年、第一商業学校を卒業後、中学の一年先輩のマキノ正博を頼って撮影所に飛び込み台本部で修行し、井上金太郎、マキノ正博らの助監督をつとめる。28年に嵐寛寿郎がプロダクションを設立すると、城戸品郎監督に誘われ脚本家・助監督として加わる。29年に初めて脚本が映画化され、以降数々の脚本を手掛ける。32年、若干22歳で監督デビューを果たし、『小判しぐれ』『小笠原壱岐守』などを次々と発表、『天狗回状・前編』を最後に日活に移籍する。33年の『盤嶽の一生』は検閲でカットされながらも才気煥発し、これを見た小津安二郎との交流が始まった。37年『人情紙風船』を最後に、召集令状を受けて中国戦線に赴き、38年に野戦病院で死去する。遺稿シナリオ「木屋町三条」は萩原遼監督により『その前夜』として映画化された。多くの作品を生み出しながらも、現存するのは『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』『河内山宗俊』『人情紙風船』のみである。
関連サイト

Related Sites

第12回イメージライブラリー課外講座の記録
イメージライブラリー・ニュース第6号